■現在、「現代詩手帖」で俳句時評欄(タイトル「俳句遺産」、2014年1月~)を担当しており、本年十月号に曾根毅氏の句集を紹介した。「東アジアから考える」の特集号だったため、それに沿った形でまとめたのが下記文章である。
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「俳句遺産22 詩情と俳句 曾根毅『花修』」
■東アジアも様々で、各地域の「詩」の差異と共通項を体感するのは興味深いところだ。仮に戦前の日本語俳句で考えると、台湾在住の俳人が「まさをなる一葉飛び来ぬ霧の中」と詠んだ時、高浜虚子は次のように評した。
「『※(女+査)媒』とか『榕樹』とかいふ言葉を使ひさへすれば台湾の写生句になる如く考へて居る人が沢山あるやうであるが、(略)台湾の句と思へばさうもとれる、又内地の句と思へばさうもとれないことはない、といふやうな句が本当の台湾の写生句であらうと思ふ。この句の『まさをなる』といふ文字は巧まずしてその地方の特色を出して居る」(「ホトトギス」昭和四年三月号)。
含蓄のある評で、各地域の文化や風景、歴史等の差異を含みつつそれらを蒸溜した有季定型句こそ「俳句」と見なした虚子の眼には、現代より多様な文化の諸相が映っていたかもしれない。
各国や土地に独自の感性があるように、同一言語の文学ジャンルにも差異があり、同時にそれらを越えて伝わる詩情もあろう。俳句と詩でいえば、一種の「写生」句や有季定型を駆使した句は詩人に伝わりにくく、逆に芭蕉等の古典や、昭和の前衛俳句等は感じとりやすいかもしれない。その点、曾根毅(一九七四~)は現代詩に心を寄せる人士にも受け入れられやすい俳人であるかに感じられる。
曾根は最晩年の鈴木六林男――「追撃兵向日葵の影を越え斃れ」等を詠み、大阪で結社「花曜」を率いた前衛系俳人――に師事し、六林男没後も句作を続ける。二〇一四年に第四回芝不器男俳句新人賞を受賞し、その副賞として句集『花修』を上梓した。曾根が新興・前衛俳句の系譜を継承する俳人としては、句集中の次の句群が分かりやすいだろう。
この国や鬱のかたちの耳飾り
悪霊と皿に残りし菊の花
爆心地アイスクリーム点点と
少女また桜の下に石を積み
五月雨や頭ひとつを持ち歩き
原発の湾に真向い卵飲む
これらに見える語彙や取り合わせ等は「ホトトギス」系の俳句観に見られないもので、師匠の鈴木六林男が戦前から属していた新興俳句系の雰囲気が濃厚であり、また俳句業界以外でも理解されやすいかもしれない。無論、これのみが曾根の特色ではなく、次の句群は季語が条件付けられた有季定型の興味深い側面が見られる。
教室の家族写真や花曇
どの部屋も老人ばかり春の暮
家族より溢れだしたる青みどろ
水風呂に父漂える麦の秋
神官の手で朝顔を咲かせけり
これらは言葉の目指すべきコンテクストが奇妙にぶれており、先の引用句群と異なる特徴を湛えている。ただ、それは俳人と詩人では受け取り方が異なるであろう。
ところで、『花修』所収の次の句は他言語に翻訳しても「詩」として理解されやすい可能性が高い。深刻、ユーモラス、超現実、感傷…いずれが強調されるかは、文化やジャンルによって異なるかもしれないが。
我が死後も掛かりしままの冬帽子 毅
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以上である。補足的に加えると、「この国や~」句以下の引用句は、おそらく俳句を専門としない文学関係者にも魅力的に感じられる可能性が高い。それは、氏が「新興・前衛俳句の系譜を継承する」(上記本文)措辞や趣向をよく身につけた俳人であることと無関係ではあるまい。
一方、「教室の家族写真や~」以下の引用五句は、「この国や~」以下の六句と位相が異なるかに感じられる。
まず、奇妙な実感が痕跡のように句に宿っている点だ。それも「家族写真」「水風呂」「神官」等の名詞でなく、下記の
・「家族写真『や』」
・「家族『より』溢れ『だしたる』」
・「水風呂に父『漂える』」
…の『 』に見られる動詞や助詞に作者の割り切れない実感が宿っている。「割り切れない」というのは句の内容や意味、または取り合わせの新鮮さや既視感といった論者側の判断からこぼれ落ちる類の作者の実感の痕跡に他ならない。
それらは、奇妙な「何か」として作品内に安らいつつも何物かの残余として佇んでおり、その足元から伸びる影はそれぞれの句の季語の詩情をいささか変質させているかに感じられる。
例えば、「教室の家族写真『や』」というある感情のクライマックスが示されつつ、それらを引き取るとともに一句を締めくくるのは「花曇」であった。なぜ、「花曇」でなければならなかったのだろうか。作者はなぜ、季語「花曇」をあしらうことで一句は完成したと判断しえたのであろう。
無論、そこから何かの意味や物語を見出すことはできようし、この取り合わせに説明を付すこともできよう。ここで述べているのは、一句に「説明を付す」以前に作品のありようである。
加えて、「教室の~」以下の六句は、私見では作者の述べたかった何物かと、結果として有季定型に助けられつつ出来上がった作品の間にはいささか溝があるかに感じられる。これを否定的に捉えるのではなく、むしろ曾根氏のある種の作品に見られる奇妙な齟齬として肯定的に見なした方が、「俳句」として面白いかに感じられる。
■以上、補足的にとりとめなく私見を綴った。芝不器男俳句新人賞受賞作ということもあり、世間的には称賛か批判、または肯定や否定といった判断が性急に下されることが多いかもしれない。
「私は『花修』が好きだ」
「私には『花修』はさほど面白くなかった」
「『花修』の佳作を挙げると、○○、○○である」云々
……と、これらのように価値判断を性急に下すのはある意味簡単ではある。そうではなく、肯定や否定等の判断の手前に留まり、句集『花修』の句群はどのようなあり方で、なぜそのようなあり方でなければならなかったのか、あるいは作品が見せる表情と作者が見せたかった表情は合致していたのか否か、仮にずれがあるならばそれは意図的なのか、無意識であったのか…等々を検討することで曾根毅という俳人の佇まいを考察することは、『花修』に対する価値判断とはおよそ別の営為であろう。
【執筆者紹介】
- 青木亮人(あおき・まこと)