2015年11月27日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 14】 推敲というプロセス  中村安伸




薄明とセシウムを負い露草よ

この句は曾根毅句集『花修』の帯の背表紙部分に印刷されており、この句集のなかでもとくに強くその存在をアピールしている句である。作者にとっても自信作なのであろう。

しかし、私にとってはこの句は失敗作である。そして、俳句を完成させるのが読者の役割であるという考えに基づけば、失敗の責任の半分は読者である私にある。

私には「セシウム」という語をうまく扱うことができない。より正確に言うと、この句の文脈にあらわれる「セシウム」という語を、処理する方法がわからないということである。


「セシウム」という語がどういうものか考えてみると、元素として厳密に定義された語であり、科学的な文脈において誤解の余地はない。一方、日常的な、あるいは文学的な用語としてとらえた場合、非常に取り扱い困難なものとなる。2015年の日本において「セシウム」といえば、2011年3月の福島での原発事故により、大気中に放出されたさまざまな物質のうちのひとつを指している。

東日本の各地に撒かれたその物質と、その物質が放つ放射線を我々人間は五感によって感知することができない。また、それらがどのような影響を人体に与えるのかは、個別的であり、正確なところは誰も知りえない。

我々にとって不可知の物質でありながら、自身や家族の健康に直接影響することが予想されるもの、そして、その発端となった災害について、あるいは今後同様の被害をもたらす可能性のある原子力というものについて風発しているさまざまな議論に直結するもの。

この語は、少なくとも私にとっては、全体像を把握するにはあまりにも巨大で流動的であると映る。あるいは巨大なのではなく、俯瞰が難しいほど近いということなのかもしれない。


俳句作品に用いられている語をどのように受け取るか、読者ごとに差異があるのは当然である。俳句作品の最終的な仕上げを行なうのが読者であるとするなら、ひとつの俳句作品が、読者ごとにすこしづつ異なったものに仕上がっていくということも、俳句の面白さであると言える。しかし、この「セシウム」という語については、読者による受容のされ方にあまりにも大きな差があるのではないだろうか。

事故以降の放射性物質の脅威を身近に感じている人と、そうでない人では全く異なるであろうし、前者においても、事態を直視しているか、現実逃避しているかなど、態度の違いによってこの語の受け取り方は異なってくるだろう。

もちろん、この句の「失敗」の責任の残り半分は、このような扱いの困難な語を無造作に(と言っては言い過ぎかもしれないが)用いた作者にある。困難な題材は扱わないという態度に比べれば、こうした素材を積極的に取り扱った勇気は賞賛に値するとも言えるが、その危険性に見合った注意や工夫が十分に払われたとは言えないと感じる。

さて『花修』を読み、印象に残った点のひとつとして、新興俳句やその流れを汲む俳句からの影響が色濃く感じられるという点がある。

特徴的な語彙や語と語の組み合わせ方という点において、山口誓子、西東三鬼、河原枇杷男、といった人々の句を彷彿とさせる作品が散見されるのである。

おそらく曾根氏は熱心な読者として、これらの作者の作品に触れていたのだと思われる。そして、それらのなかから俳句の型を身につけ、また語彙を取り入れていったのであろう。

そのためなのだろうか、この句集における曾根氏の文体は、堅牢で、安定感がある。この文体と、彼自身のやや頽廃的ともいえる感性がうまく融合して生み出された作品には、凄みのある美を現出させているものがあって、たとえば

永き日や獣の鬱を持ち帰り 
落椿肉の限りを尽くしたる

といった作品は非常に魅力的である。
一方で、繊細な仕上げを要する作品に意外な粗さもみられる。たとえば

水吸うて水の上なる桜かな

という句は「水」のリフレインによる音楽性は素晴らしいものの「上なる」という表現はうまく働いていない気がする。

骨格のしっかりした文体をもちながら、いまひとつ洗練されない部分が残り、大きな可能性を感じさせつつも、読者としてカタルシスを得るところまで突き抜けてこない。それがこの句集の作品の多くに対して私が持っているざっくりとした印象である。

句を洗練させる、すなわち読者に良い仕上げをしてもらうために必要なのが、推敲というプロセスである。推敲とは、作者が自作に対し読者としての目をもって臨むことである。

作品の洗練度の不足が自作への客観的な批評の欠如によるとするならば、「セシウム」に代表される危険な用語を、やや軽はずみに取り扱ってしまうことも、根本原因を同じくするのかもしれない。

人々に多大な影響を与えつつ、激しく変容し、立場によって多様な受け止められ方をする生々しい言葉を、必要な配慮をしながら表現に用いていくということを、今後の私自身の問題としても考えていきたいと思った。
そのためには従来の文体を変容させることや、発表の形式を変化させることも検討しなければならない。また、作品が俳句という形式であるべきかどうかという地点にまで遡って考える必要もあるかもしれない。

『花修』は私自身のものでもある課題について考えるきっかけになったという点でも、私にとって重要な句集となった。



【執筆者紹介】

  • 中村安伸(なかむら・やすのぶ)

1971年、奈良県生まれ。
2010年、第三回芝不器男俳句新人賞対馬康子奨励賞受賞。
共著に『無敵の俳句生活』(ナナ・コーポレートコミュニケーション)
『新撰21』(邑書林)