句集を開くとまず、寂しそうな巨人が現れる。
立ち上がるときの悲しき巨人かな
立ち上がる瞬間、巨人は巨人たることをいっそう意識し、孤独を深める。
五月雨のコインロッカーより鈍器
取り出したら誰かを殴り殺してしまいそうな鈍い光、冷え、湿り、重み。
近づいて更なるしじま杜若辿り着くと、この辺りの静寂はかきつばたが放つ静けさだった。
手に残る二十世紀の冷たさよ二十世紀にやってきたこと、もしくはやらなかったことを思い起こすとき、かじかむような罪悪感が滲む。
我が死後も掛かりしままの冬帽子寒々と死後に思いを馳せているうちに、自身よりもラックに掛けられた帽子の方が存在感を持ち始めてしまった。
白桃や聡きところは触れずおく白桃には、軽く触れただけでも崩れそうな部分がある。そこに触れかけて止めた自分と、触れてほしくない白桃との間に、かすかな緊張が走る。
春すでに百済観音垂れさがり百済観音の立ち姿と、春の駘蕩とした気分が相まって、「垂れさがり」という弛緩した言葉が漏れた。
壮年を松葉の影と思いけり針のごとき松葉の影を見つめながら、血気に逸りそうな自分を感じている。
罵りの途中に巨峰置かれけり罵る最中、ふいに巨峰の皿が置かれた。罵りは中断してもよいし、巨峰を摘まみつつ、あるいは巨峰を無視して続けられてもよい。ただそれだけの存在。
能面は落葉にまみれ易きかなわずかな角度の違いにより、様々な変化を示す能面。その表情を捉えようとするが、落葉に埋もれてしまうかのように捉えどころがない。
『花修』から十句引いた。
この句集を読んだときの感じが何かに似ている気がして、よく考えてみると、それは乗り物酔いなのかも知れなかった。乗り物酔いは揺れや加速、更には視覚や心理的なものにも影響されるという。車窓に流れる景色を眺めているうちに胸騒ぎを覚え、冷や汗が滲み、目まいがしてくる。ふらつきながら降り立った後も、体の軸を取り戻すまでには時間が掛かる。それでもまた車窓にもたれて景色を眺めたいと思う。『花修』は私にとってそういう句集だった。
【執筆者紹介】
- 藤井あかり(ふじい・あかり)
1980年生まれ。「椋」会員。句集『封緘』。