2015年11月20日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 11】 水のように  / 藤田亜未



曾根氏とは、堺谷真人氏の送別会で出会った。

そこから俳句談義をするようになり、句会でも一緒になることが増えた。

芝不器男俳句新人賞に応募する時、応募締め切りのぎりぎりまで粘って句を練ったという話も聞いた。こつこつと努力する人という印象を受けた。

春の水まだ息止めておりにけり

生き物がまだ動き出さずに息を止めているのを、作者も息をのんで待ってるのかもしれない。
東日本大震災の被害を受けた水の中の命が動き出していないのを案じて祈っているように感じる。

永き日のイエスが通る坂の町

だいぶ日が長くなってきた。ゴルゴダの丘へ行く坂道を上るイエスのようにゆっくり
ゆっくり上っていく。イエスはこの坂を上るときどのような気持ちだったのだろうか。
刑を執行される前のイエスの気持ち。今作者も重い十字架を背負って歩いている。
日本中が地震や災害の後の復興という重いものを背負っているのだ。

この国や鬱のかたちの耳飾り

日本は今耳飾りのように不安定に揺れている。大きな揺れではないけれど、いつも不安を抱えて過ごしている。鬱という漢字はごてごてして複雑な漢字だ。
その漢字を使ったことで複雑なもののいろいろ詰まった日本を憂いているようにも見える。

滝おちてこの世のものとなりにけり

滝というとスピリチュアルなイメージ。どこか神秘的な滝が勢いよく落ちてきて初めてこの世のものと実感できる。それが実感できるのが滝が落ちた水音やしぶき。
滝に魂があるとするなら、それを感じる瞬間が滝が落ちてきたとき。生の激しさをも
感じる句。

ところで、作者には水に関連した俳句が多いように思う。

塩水に余りし汗と放射能 
水吸うて水の上なる桜かな 
水すまし言葉を覚えはじめけり 
水風呂に父漂える麦の秋

水というのは、地球上の生命が生きるのには欠かせないもの。震災に遭ってからはより一層その思いが増したのではないだろうか。水がつく言葉を多く使うことで作者は、今を生きているという実感が欲しかったのかもしれない。

春の川を流れる水のように、俳句の才能と情熱がゆっくり、でもしっかりと溢れ出している作者にエ-ルを送りたい。


【執筆者紹介】


  • 藤田亜未(ふじた・あみ)

「船団の会」所属。句集「海鳴り」創風社出版。共著に「関西俳句なう」本阿弥書店