2016年2月26日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 39 】 凶暴とセシウム / 佐々木貴子



一、凶暴の男


正直に言うと私は句集鑑賞が苦手である。思い返すと子供の頃、読書感想文も苦手であった。読書は好きでも感想文は嫌い。それは読んだものから何も感受しなかったからではなく、感受したものを感想文にする時、何か「意義のようなもの」を求められる気がしたためであった。「これこれに感銘し、これこれがこの作家の素晴らしいところだ」とか「これこれに共感し、私もこれこれしようと決意した」とかまるで決まりのように、学校の感想文はこの手の結び文句で溢れていた。そのように明文化されない掟のようなものが、性に合わなかったのである。

俳句の鑑賞文は、読書感想文ほどには「世の中に肯定される意義」を求めていないだろう。しかしやはりどこか、その作家に社会的価値を付与し、称揚や鼓舞でもって評を終結させようといった暗黙の了解があるように思う。

 さて曾根という作家の昨今について、些かの驚きをもって見ている。震災を題材にした作品で賞を得た、という出自のためだろうか。これほど多くの作家によって評が書かれ、讃えられ、あるいは及ばぬ点を指摘され、次代への期待を担わされ、曾根という人は一体何者になってしまったのだろう。素晴らしい評文の数々。これらの評文を前に、今更私が書けることなど一つもないのではないか。もとより作家性への分析力など持ち合わせていない。他者の俳句を読むことは俳句をとおして己を見ることでもあるが、せいぜいこの鑑賞文をとおして自身の偏向をさらけ出す結果に終わるのではなかろうか。

この鑑賞を書くにあたりそのように悩みもしたが、しかしまあ俳句は一度発表したら読み手のもの、読み手の心に委ねられるものでもある。例え的外れであっても、様々なレスポンズが得られるのも俳句の良さであろう。その一点に救いを見出し、敢えて私という「偏向の窓」から見た景色を書いてみようと思う。

 私から見た曾根俳句は、鬱屈と凶暴の精神を抱えもっている。


春すでに百済観音垂れさがり


と好々爺のように穏やかな句が数多見られるにしても、私は次のような曾根作品に吸い寄せられる。

立ち上がるときの悲しき巨人かな 
暴力の直後の柿を喰いけり  
快楽以後紙のコップと死が残り  
佛より殺意の消えし木の芽風 
さくら狩り口の中まで暗くなり 
獣肉の折り重なりし暑さかな  
夕桜てのひらは血を隠しつつ  
永き日や獣の鬱を持ち帰り 
落椿肉の限りを尽くしたる  
威銃なりし煙を吐き尽し 
恋愛の手や赤雪を掻き回し 
欲望の塊として沈丁花


内面に沈潜した鬱屈。今にも暴発しそうな凶暴性を抱え、他者を顧みない男の像。それは欲深い魂の、叶えられない希望の反転としてある。私はこれら「強欲な魂の」曾根作品に惹かれてやまない。

五月雨や頭ひとつを持ち歩き

私が最も注目する曾根作品の一つである。激しくふりしきる雨の中、行き先をなくした無頭の影がうろうろと歩きまわる。手にもつのは己の首。無頭の人体が、あたたかい生首を手に灰色の雨を徘徊する様は、突破口の無い暗さを映し出す。

 この句に限らず、曾根作品には「頭」に関連した句がいくつか見られる。


霾るや墓の頭を見尽して 
朧夜の人の頭を数えけり 
曇天や遠泳の首一列に 
頭とは知らずに砕き冬の蝶

これらの句で「頭」はいずれも危うい状況、ないしは人格を失った状態におかれていないだろうか。「墓の頭」は灰色に立ちつくし、「朧夜の人の頭」は表情を映さず、物のように数えられる。「遠泳の首」は一列におかれ、まるでさらし首のようでもあり、あるいは今にも刎ねられそうな危うさにおかれているようにも見える。

「頭」とは身体を成す要素のうち最も生々しく、かつ人格を表す部分ではないだろうか。曾根作品における「頭」への執着はなんであるのか。「頭とは知らずに」砕いたその拳は、つぶれた蝶の破片にまみれているのか。

そして私という読み手は何故、これらの作品に惹かれるのか。そのことに解は無く、更には作家性への称揚や社会的価値の付与など、あり得ようはずもない。

 作品を読むとは不思議なことである。人間ならば優しく面白く軽妙な人が良い。付き合いやすく、好まれる。作品ならば、寒々とした痛みを映す北野武映画が魅力をもつように、曾根作品の突破口のない暗さや鬱屈は心の一角を強く握りしめるのである。


 曾根は期待される作家である。曾根の作品は社会的な価値を付与されつつある。曾根作品は悟りの境地をも得つつある。そのような曾根作品にしかし私は、ひっそりと囁きかけたい。

 悟るなよ。もっと暴力的に、絶望的にあれ。

曾根の鬱屈が書ききられた時、私にも曾根作品にも、何らかの答えがみつかるような気がするのである。


二、セシウムの日常

 震災を題材にした作品によって、曾根は芝不器男俳句新人賞を得た。それ以前にも彼は十分活躍していたのだが、それを契機に大きく取り上げられるようになったと言って過言ではないだろう。
かの震災には他にはない特徴がある。それは言うまでもなく、放射能という非可視の恐怖のことである。震災や放射能を取り上げた句に対し随分と批判が集まった時期があったが、今はさてどうなのだろうか。私自身はあくまで「ヘンな盛り上がり」の震災詠は好ましくないが、震災の経験を我がものとして詠んだ句は、特に非難すべきと思わない。その人の生活の途上にそれらがあったというだけであろう、また、震災は社会性を帯びた題材という以前に私たちの共通の経験であろうから、自然の心の流れとして詠みの対象にはなるのではないか、そのような単純な考えだ。とりわけ放射能に関しては、私の居住する青森がおかれた特殊の状況から、社会性というより日常に潜む恐怖として、その存在を捉えているところがある。

 あまり知られていないかもしれないが、青森には世界でも有数の原子力施設がある。核燃料サイクル計画、そのほとんど全ての過程が一県内で賄えるほど、様々の核工場がある。一時期は、高レベル放射性廃棄物の処分場としても候補に挙がっていた。原発、核燃料のリサイクル工場、そしてゴミ捨て場。全てが青森一県に担わせられ兼ねない状況にあった。東京と青森は遠い。青森で何か起こったら切り捨てれば良いと、国は都合よく考えているのではないか。それを狙っているのではないか。未知なる放射能のすべてを負わされ、いざとなったら見捨てられるのではないか。そのようにヒタヒタとした恐怖がいつも、青森県人の意識下に迫っていたように思う。

 もう十年も前だろうか。日本で一、二を争う貧困県で当時、原子力事業だけが勢いを保っていた。不況の影響下仕事は選べず、私も原子力推進側の事務所で仕事をしたことがある。その時六ヶ所村の工場を見学しに行った。工場は稼働しながら同時に建設工事中であった。下北の広大な地盤を見渡して、地中深くに埋まった土台と、土をえぐって鉄骨が刺さっていく様を見た。

 サイボーグ。一〇〇パーセントの生身が自然の肉体であり土が自然であるとするならば、地中深く、広範囲に工場が埋め込まれたこの地はもはやサイボーグという言葉がふさわしかった。その時に理解したのである。当地はもう元には戻らない。地中深く埋まった工場は除去できない。私の故郷の北端は機械の体になってしまった。

 震災前の一時期、高レベル廃棄物処分場の候補地選定にその名が浮上していた頃、原子力の恐怖は青森県人にとって常に身近であった。放射能の非可視的恐怖は、多くの県人がそれを見て見ぬふりしようと努めていたけれど、日常のなかに潜んでいた。

放射能の最も即効性ある被害、それは、「被害を想像させるという被害」である。放射能の限界を誰も知らない。終局的にどの程度の被害で終わるのか、誰も知らない。放射能を見ることはできない。「漏れたかもしれない」「私の体に付着しているかもしれない」「飲料水に入っているかもしれない」そして「恐ろしい、未知の悪影響を及ぼすかもしれない」そういう想像だけが広がっていく。
 
薄明とセシウムを負い露草よ 
布団より放射性物質眺めおり

曾根のこういった句は、放射能を絶えず意識する、あるいは、せずにはいられなかったかつての状況を想起させる。それは、私にとっては震災詠ではなくむしろ、原子力という要素が組み込まれた現代における私たちの、日常詠なのである。


【執筆者紹介】

  •  佐々木貴子(ささき・たかこ)

1979年青森県生れ、青森県在住。中村和弘主宰「陸」誌同人
高校3年より句作開始、2013年現代俳句協会より句集「ユリウス」刊行。
現在は青森県紙で発行するこども新聞にて月一回、俳句紹介記事を担当