立ち上がるときの悲しき巨人かな
作者の詠む幻はくっきりと見える。読者はこの悲しき巨人をただただ見送るしかない。巨人を見送る時間は、どこか安らかな感じがする。
夕焼けて輝く墓地を子等と見る
平凡な内容の句に見えるが、この句集を何度か読み返す時、不思議と立ち止まる一句。私も、子ども達も、必ず墓におさまる時がくる。墓地を見て、墓地を穏やかだと思う心は、さみしいけれど確かにある。
夜の秋人生ゲーム畳まれて
私もまた、人生ゲームの駒のように、何者かに操られたり、畳まれたりする存在ではなかろうか。なんてことまで考えはしないが、人生ゲームの片付けは妙なものだ。
朧夜の人の頭を数えけり
頭がぼんやりと浮かんでいて、それぞれに大した違いが無いようにも見える。作者も、読者もぷかぷかした頭の一つ。
秋風や一筆書きの牛の顔
すっきりと、穏やかなに、優しく、現実にはなかなかそうはいかない。この牛は作者の理想美だろう。
日本を考えている凧
どうなることやら。まぁ、いいか、と考えている凧。凧が作者のようにも見えて可笑しい。考えているような、考えていないような、そんな具合がいい。
鰯雲大きく長く遊びおり
空には壮大なものが遊んでいると思うと嬉しくなる。天上も地上も、遊びは大きな方が良い。
頭とは知らずに砕き冬の蝶
いつまでも心にこびり付くような思い出というものがある。ここでの「砕き」は最適の言葉だろう、それだけに哀しい。
闇に鳩鳴けば静かに火を焚かん
ささいなことで、目前の景色を異界と感じることがある。作者にとって、そこは静かで穏やかな場所なのだろう。鳩も火も闇も現実であって、異界でもある。その境界線はぼんやりしている。
他にも
影と鴉一つになりて遊びおり
さくら狩り口の中まで暗くなり
ぬつと来てぬつと去りたる鬼やんま
どの部屋も老人ばかり春の暮
等の句に惹かれた。
惹かれた句には、夜風のような良さがある。夜風は変に励ましたりしないところが良い。目を細めて夜風を味わう。夜の端居をしていると、素敵な幻も見えてくる。
あぁ、そうか。
『花修』はどこか、夜の端居のようだ。
【執筆者略歴】
- 西村麒麟(にしむら・きりん)
1983生まれ。「古志」同人。