曾根毅は何を見たい、何を感じたいと願い、そして何が見えて欲しい、何を感じて欲しいと望み、言葉を紡いでいるのだろう。
「花修」という句集、そのカバーの絵は明るい線で描かれたどこまでも長閑な緑濃い田舎の景色に思える。しかし、いざ読み進めてみるともう最初の一句目から表紙にあった長閑さはどこにもなく、不穏で不安な緊張感に溢れている。
この「花修」は東日本大震災の時期を中程に据え、時系列に沿った形で章立てされていて、震災前震災後の自分を辿り直しているように作られている。その章立てにも意味があるのであれば、私も章ごとに感じたことを書いてみようと思う。
花(平成十四年~十七年)
鶴二百三百五百戦争へ
稲田から暮れて八月十五日
いつまでも牛乳瓶や秋の風
讃美歌のどこまでつづく塀の上
敢えて句集のために、導入部としての不穏な句を集めたように感じる。この世のどちらかというとハレではなくてケの部分ばかりを想像してしまう。八月十五日の句があることから、世界中のどこかで今ある戦争というよりも、日本が敗戦した太平洋戦争の事を思い、終戦後に生まれこれまで歩いてきた自分の世界は正しかったのだろうかと疑念を抱いているように感じる。
光(平成十八年~二十年)
この国や鬱のかたちの耳飾り
さくら狩り口の中まで暗くなり
五月雨のコインロッカーより鈍器
爆心地アイスクリーム点点と
塩水に余りし汗と放射能
地球より硬くなりたき団子虫
一句づつ読めば違うのだろうが、あえてバイアスをかけて読めばどの句もなにかしらの示唆に富んでいる。昭和の時代が終わり、20世紀が終わり、新聞の見出しだけでも十分に嫌になるくらいの起こって欲しくない事件や事故。自分には関わりのないことだと目をつぶり、あるいは憐れんだりするのではなく、ただそのままに書きとめてあるような言葉の連なりが余計に様々な事を想像させ思い出させる。作者の不安が少しずつこちらに伝播してくる。こちらが一句一句に暗い意味を持たせてしまう。
蓮Ⅰ(平成二十三年~二十四年)
薄明とセシウムを負い露草よ
桐一葉ここにもマイクロシーベルト
燃え残るプルトニウムと傘の骨
山鳩として濡れている放射能
人間をすり減らしてはなめくじら
少女病み鳩の呪文のつづきをり
東日本を襲った大地震と大津波、そして東電福島原発の大事故を受けての句群である。特に目に付いたのは原発事故に関わる俳句である。大地震や大津波はこれまでも何度も日本を襲ってきた。私自身青森県の太平洋側で生まれ育ったので他人事ではないし、沿岸部に生きる人達が津波に襲われても何度も立ち上がって生きぬいてきたことも知っている。豊かな海があって山があって耕せる土地があれば悲しみを抱えても何度だって生きるのだ。だから震災にまつわる句は、悲しみの共有こそできても絶望まではゆかない。しかし原発の事故はそうはいかない。なにしろ見えないのだ。なのに否応なしに汚染されてしまったのだ。病気にだってなるかもしれない。そしてそれは自然災害ではなく人が起こしたものなのだ。それが不安であり救いのなさなのである。降り注ぐセシウム、計測器が示す数値、放射能に汚染されてしまった数多のもの。いくら季語と併せてみたって全く情緒を感じないそれらの言葉を俳句の中に象徴としてではなくダイレクトに使うことで、間違いなく不安の根がそこにあるのだと訴えてくる。
蓮Ⅱ(平成二十五年)
木枯に従っている手や足ら
少しずつ水に逆らい寒の鯉
身籠れる光のなかを桜餅
菜種梅雨鉄の匂いの腕を垂れ
人は名を呼びかけられし月夜茸
引越しのたびに広がる砂丘かな
震災や原発事故のショックから落ち着きを取り戻しかけてきているように感じる。希望も見え隠れしている。身籠りの句や子供の句がその役割を果たしている。しかし拭い去ることのできない不安や、無力感といったものも感じられる。例えば従っている手足、逆らっている鯉、垂らした腕、引越しの度に広がる砂丘。これらは自らの無力感を象徴しているように感じる。それは「花」「光」の章ではあまり感じられなかったものだ。私はこれが震災や原発事故以降に起こった作者自身の変化の表れなのだと考える。
蓮Ⅲ(平成二十六年)
日本を考えている凧
冬薔薇傷を重ねていたるかな
玉葱を刻みし我を繕わず
鶏頭を突き抜けてくる電波たち
祈りとは折れるに任せたる葦か
闇に鳩鳴けば静かに火を焚かん
前章よりも静かな怒りと憂いと悲しみが表出している。激しい言葉は形を潜め、一見花鳥諷詠ともとれるような句が並び始めるが、それは本当はずっとこうだったらよかったのにというもはや叶わない望みなのではないか。痛みがあるのだという事を、乾ききる前の瘡蓋を無理にでも剥いで血が滲むのを見つめながら思いだし、祈るほか何も出来ない無力なる自分を肯定しているように感じる。
人は事故や災害や不幸な出来事に遭遇し、あるいは体験した時、それを様々な形で語らずにはいられない。他人にそれを語ることで、悲しみや不安といった感情はすこしずつ発散され、薄められ、少しずつ平静を取り戻してゆく。それは人が人として生きてゆくために必要な心のシステムなのだ。自分一人の中にそれを抱え込んだままにしておくと、多分に精神衛生上よろしくなく、よく言う「話したらスッキリした」というやつなのだが、話をされた側になってみると、悲しみや不安を分かち合う訳だから、多少なりとも心を乱されてしまうということになる。「花修」を何度か読み返しているうちに、それに似た気分になっている自分がいることに気が付いた。句から感じ取れる不安なものが私の気分に微妙に影響を与えるのだ。そして、私の中にあって表面化していなかった、あるいは気付かなかったことにしておいたものが自分の中で浮き上がり、否応なしに向き合う破目となり、それは思いがあるけれども事象としては自分で解決することができないという無力感に襲われるなどという、なんとも悩ましい気分になったのである。そういう部分ではある意味とてもエネルギーを内包した作品集なのではないか。
更には作者自身も「話してスッキリ!」という状態ではちっともないように思える。それが曾根毅にとっての震災以降なのであり、この句集をもって一旦完了などとならず、現在進行形で未だ続いているということなのだろう。
【執筆者紹介】
- 近恵(こん・けい)
1964年 青森県八戸市生れ、東京都在住
「炎環」「豆の木」所属 現代俳句協会会員
第31回現代俳句新人賞
合同句集「きざし」