曾根毅の句について書こうとしているのだが、この人の句にいつもまとわりついている奇妙な言葉の手触りを、はたして正確に言い得ることができるだろうかと、考えだすと、とりとめがない。
とりそぎ、
薄明とセシウムを負い露草よ 曾根毅『花修』深夜叢書社/2015
の句を頭にうかべ、これはやはり曾根毅の『花修』に通底する言葉づかいで書かれているよなあ、と思う。そんなところから始めてみる。漢語・外来語・和語という質感の異なった三つの名詞がどうにかバランスを取ろうとしているこの句を、まずひといきに読みくだしてみると、そこに、微妙に言葉の角が落とされていないような、表現が粗暴であるような印象を覚える。
一句の真ン中に置かれる「セシウム」という単語が、生硬で、忽然としていて、「薄明」「露草」という他の名詞と並べたてられると、異物めいた感じを読者に与えるのが、まず一つにはある。「セシウム」というと、時事の言葉で、詩語としてはもとより、われわれの生活の上にあってさえ、いまださほど多くの人の手を経ていないので、どうしても他の、われわれが普段触り慣れた言葉とは、うまく響かない。
だけれども、この句がうち隠している言葉のこなれなさは、「セシウム」という名詞の性質にのみ立脚しているのではない。こんどは句の骨格、つまり、名詞どうしがどのように結びつき合っているのかという点を見てみる。
問題は「負い」と「よ」の対応にある。
「よ」というと、言葉を遠くに投げて、それをもって言葉の響きとするような間投助詞で、上五・中七・下五のいずこに置かれるかによって働きは異なろうが、下五にあっては、まず一つには、ずらずらと連なる十七音全体に接続し、一句に流れる一筋の勢いを引き受け、大きな詠嘆を生むもの、もう一つには、中七まででいったん弱い切れが入り、一呼吸置いたあと、下五の四音ぶんが「よ」に掛かる、すなわち、「よ」の圧力を短い単語が独占し、さながら下五の言葉のイメージが異様に輝き、それが感動の中心として声高に語られているような効果を生むものとがある。
曾根の掲句は中七の末尾が「負い」と、連用形になっている。句意としては、「薄明」と「セシウム」とを「負」っているのは、ひとまずは「露草」なのだが、韻文の中で連用形を用いると、意味の上では結びついていても、表現上は、すこし切れた感じが出るので、先の分類でいえば、後者にあたる。この〈下五の「や」〉型では、下五に大きな負荷がかかるほか、中七から下五にかけて、前の言葉から次の言葉へうつるときに、時間的なマが生まれて、そのマに静謐さが生じたりもする。この句の場合も、中七ののちに一瞬の無言があるので、下五の名詞の現われによってその緊張が解かれる安堵に、「露草」という言葉のかそけさもひとしおとなる。
だが、この句の言葉どうしの結びつきは、上記の効果を最大に引き出しては、実はいない。〈薄明とセシウムを負い露草よ〉は、何度くちずさんでも、何度くちずさんでも、どうにも言葉の坐りが悪いような、述べ方の反射神経が鈍いような気がしてならない。その理由は、「負い」に「て」がないことではなかろうか。「て」というと、接続助詞であり、付属語であり、だからもちろん自立語である「負う」や「露草」とは明確に区別され、そうであるがために、もしここに「て」が接続されていたとしたら、「負い」と「露草よ」とのはざまにある時間的なマは、はっきりとしたシルエットを持っていただろう。だが、ここに「て」はない。「負い」の「い」という活用語尾によって切れている。動詞の連用形はいきもののように次の動詞を待つ。明確な切れとなりきれぬまま、なまなまと、「負い」は「露草よ」に隣る。結果として、中七から下五にかけて、言葉どうしはきびきびとした脈をうしない、言い難い読後感を湛えている。
曾根の句は、こんなふうに、きびきびとしていない。日本語が少しへたな感じがする。
くちびるを花びらとする溺死かな
の「―をーとする」に見られる、説明っぽさ。
水吸うて水の上なる桜かな
の「―てーなる」に見られる、言葉の流れの向きのばらつき。
その、一句ずつが語られるときのたどたどしさが、曾根の句を決定的に支えているものだ。情感と表現は表裏一体である。うれしい歌はうれしく歌い、かなしい歌はかなしく歌ってこそなのである。たどたどしい曾根の句を読むと、ああ、現代ってこんな感じだったな、と思う。奇妙であいまいな現実の生きごこちをおぼろげに考えながら、自分に言えることと言えないことの選別もうまくできないままに話し出してしまう、いまがそんな時代であったことに『花修』は思い至らせてくれるし、何十年かしてもう一回読みなおしたときにもやっぱり、ああ、そうだったなあ、と思い出すことができるような気がするのである。
【執筆者紹介】
- 堀下翔 (ほりした・かける )
1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。筑波大学に在学中。