曾根氏との出会いは関西の現代俳句協会青年部の勉強会だった。芝不器男俳句新人賞を受賞された直後の勉強会で、勉強会前から会場は祝福モードが漂っていた。私はどんな方なのだろうと興味津々だった。勉強会が終わった二次会から三次会への移動のときにさりげなさを装って横を陣取って話しかけたところ、どのような話題にもにこにこと応じてくださって、気遣いのある温厚な人柄が印象的だった。
『花修』を繙くとまず「墓」を題材にした句に惹かれた。
墓標より乾きはじめて夜の秋
夕焼けて輝く墓地を子等と見る
秋深し納まる墓を異にして
霾るや墓の頭を見尽して
墓場にも根の張る頃や竹の秋
墓を詠んで墓の暗さがない。そこにあるのは墓への親しみであり安らぎである。濡れた墓が乾き始める造形としての美しさ、様々な形の墓が並び輝く墓地を子等と眺め遣る優しい切なさ、死ぬときは違う墓に入るというしみじみとした諦観、黄砂に煙る最中の墓への執着、墓場とその他を分け隔てることなく根を張る竹の生の営み。どの句も実に魅力的である。
『花修』には「死」そのものを詠んだ句も多いがその世界観は重なるところもありつつより多様である。
くちびるを花びらとする溺死かな
快楽以後紙のコップと死が残り
夕ぐれの死人の口を濡らしけり
我が死後も掛かりしままの冬帽子
死に真似の上手な柱時計かな
桜貝いつものように死んでおり
雨が死に触れて八十八夜かな
金魚玉死んだものから捨てられて
萍や死者の耳から遠ざかり
しばらくは死人でありし箒草
猫の死が黄色点滅信号へ
観念としての死への憧憬、現実の死へのドライな対応、弔いに際しての叙情、死の美しさ、死の容赦なさ、そういったものが織り交ざり死の多面性を捉えようとしている。
死にまつわることを描くことで生もまた見えてくる。観念的思考の饒舌さは作者によって具現化され沈黙が訪れる。それによって読者は根源的な思索へと導かれる。
闇に鳩鳴けば静かに火を焚かん
『花修』の末尾を飾る句である。氏は今後も先の見えない暗闇の中で感覚を鋭敏に保ちながら本質や根源を照らすべくひとつひとつ火を焚いてゆくだろう。
今後が非常に楽しみである。
【執筆者紹介】
- 岡田一実(おかだ・かずみ)
1976年生まれ。「100年俳句計画」賛同、「らん」同人、「小熊座」会員。現代俳句協会会員。句集に『小鳥』マルコボ.コム『境界―border―』マルコボ.コム。共著に「関西俳句なう」本阿弥書店