2016年4月1日金曜日

【曾根毅『花修』を読む49】 残るのか、残すのか / 表健太郎




はっきり言って過剰である。『花修』刊行以来、一句集に対してやたらと言葉が多くはないか、ということだ。全部を読んだわけではないが、正直、この扱われ方には異様さすら覚える。もちろん、なかには興味深い評もあった。けれど、すべてがそうであったとはとても言い難い。文章量や上手い下手などは問題にしていない。不器用であっても、その作品を通じて、「俳句とは何か」を真剣(・・)()考えよう(・・・・)()する(・・)姿勢(・・)必要なのである。

好きに書いていいと言われたのかもしれない。自主的な参加ではないとの弁解もあるだろう。ただ、いかなる事情にせよ、俳句への態度が試されていたのは事実だ。その意味で、断ることも立派な批評行為の表明であると、ぼくは思っている。むしろ、仲間意識や恩義などによって止むを得ず原稿依頼を引き受け、当たり障りない感想でお茶を濁すくらいなら、沈黙を貫く方が潔い。もし、ここに作者や依頼主からの圧力が関与していたとすれば、彼らも大罪を免れることはできない。

急に書くことを躊躇してしまったり、書き手が減ることに懸念を示す者がいたとしたら、言っておきたい。馴れ合いのなかに育つ作品や批評など存在するはずがないし、仮にあったとして、そんなものにはなんの値打ちもないと。

たとえば、こんな状況を想像してほしい。
「文学」という言葉がすでに死んでしまったような今日において、俳句の延命を願って止まない者たちがいたとする。彼らは俳句を絶やすまいと必死の普及活動を続け、新人発掘にも精力を注ぐ。そんなところへ、ある句集が、しかも時代の色を反映したような作品を散りばめて登場したとしよう。彼らはすぐに飛びつくに違いない。そして力を尽くして宣伝するだろう。彼らの努力と運動は周囲の関係者の目に美徳と映り、やがて次々に共鳴者が現れる。その頃には、当の句集は注目の一冊になっている――。

「たとえば」と書いたが、現実として起こっていることではなかったか。別に『花修』を槍玉に挙げようとしたわけではない。現在の俳句世界の多くを占ているのは、上のようなシステムというか構造であるような気がしてならないのである。

「何が悪いのか」という反論に答えていこう。すでに書いておいたが、「『俳句とは何か』を真剣(・・)()考えよう(・・・・)()する(・・)姿勢(・・)」「当たり障りない感想でお茶を濁さないこと、書き手一人ひとりが、これさえ意識していれば問題はないのだ。けれど、自分の胸に手を当ててみて、本当に誤魔化しがなかったと、全員が言い切れるだろうか。

俳句も他の芸術作品と同じように、本来「残す」ものではなく「残る」ものだと思っている。「残る」というのは、人の力を借りるのではなくて、作品が自らの力で生き延びていく、という意味だ。そのためには言うまでもなく、作品が「俳句」であることの本質論を抱え込んでいなければならないし、読み手もその点に注意して、切り込んでいく必要がある。つまりは、作者の精神を通じて、作品が「俳句とは何か」という問いを誘発し、この問いに対して不断の議論が交わされるところに、作品の息衝く力が宿るものだと思うのだ。だからこそ、作者にも評者にも、俳句に対する真剣(・・)()取り組み(・・・・)が要求されるのである

もっとも「残す」運動を不要と言っているのではない。優れた作品を忘れさせないために、あるいは不遇の才能を歴史に埋没させないために、誰かが継承、発掘して「残そうとする」のは、非常に重要なことだ。ただ、このとき「優れた作品」「不遇の才能」であることが前提であってみれば、それらはもともと「残る」力を持っているものと言うことができる。

先の例に話を戻すと、俳句を「残したい」という切実な思いは十分に理解できる。しかし、その思いが「残す」ことばかりを優先させ、「残る」ものであるかの検証を怠っていたとしたら、作品は歪められた形で流通することになるだろう。俳句の延命を願う思いのなかに、少しでも気遣い的な要素が混じり込んでしまった時点で、作品を正面から見る視点は失われてしまうからだ。このことに鑑みれば、作者の顔色を窺う文章など、もってのほかであることは言うまでもない。作品を前にしての善意というのは、それに温かな寝床を与えながら、却って生命力を奪っているのである。そしてぼくには、現在の俳句が、こうした不幸な言説空間を疑うことなく受け入れ、ますます衰弱しているように思われて仕方がない。「文学」が死んでしまったも同然の状態とすれば、首を絞めたのは誰なのかを、考える必要がある。

そろそろ方々から、「ではお前は一体、『花修』についてどう思っているのだ」という声が聴こえてきそうなので、最後にその点に触れて本稿を閉じることにする。

実は、この執筆に先立ち、ぼくは自らが所属する俳句同人誌において、短いながら『花修』評を書いた(LOTUS32号)。詳しくはそれに譲るが、概要は以下のようなものである。

作者の言葉を信じるなら、作品はほぼ制作年順に収録されているので、全体を見渡せば、現在までの、作者の俳句に対するなんらかの思想の変化を読み取れるのではないかと思った。
そう思って繰り返し読むうち、最初の二章(「花」「光」)と、それ以降の章(「蓮Ⅰ~Ⅲ」)との間に、微妙な違いが生じていることに気づいた。作品は〈イメージ〉重視のものから始まって、「蓮Ⅰ」を過ぎると、わずかにではあるが〈見る主体〉とでも呼ぶべきものの影がチラつき始める。

〈イメージ〉重視というのは、言葉の結びつきに比重が置かれ、単語の取り合わせによって、意外性や違和感などを生じさせようとする企みが感じられる作品のことだ。対して〈見る主体〉とは、作者がまず対象に向き合い、凝視して、その過程で把捉される像を描こうとしたように思われる作品のことである。たとえば前者には「鶴二百三百五百戦争へ」(花)、後者には「水吸うて水の上なる桜かな」(蓮Ⅰ)といった句を、具体例として挙げておいた。

上のような変化を、ぼくは仮に「眼差し変容」と呼んでみて、今後の展開に期待を寄せた。作者のこうした俳句行為が、「俳句とは何か」を追究しようとする姿勢を彷彿させたからである。
ただ、ぼくはあくまでも、作者の俳句行為を通じて見た「未来の作品」に期待したのであって、現在の、つまり『花修』の収録句については、満足していない。厳しい言い方をすると、俳句史に「残る」という意味では、まだ力が弱いと思っている。一句あるいはなにかのテーマが通底した数句、いや、句集であってもいい。そうした単位は、特に限定していない。とにかく、「俳句とは何か」を問いかけてくるような作品を、ぼくは渇望しているのだ。

これまで書いてきたことは、即、自分自身に跳ね返ってくる。それだけに、恐ろしくもあり、告白すれば、なん度も発言を撤回しようとした。けれど、ぼくもまた俳句を「残したい」と望む者の一人であってみれば、偽ることなど許されないのだ。他者の作品を語るというのは、自分を斬りつけるのと同じことなのである。血を流さない表現行為など、一切信用していない。

【執筆者紹介】
  • 表健太郎(おもてけんたろう)

1979年東京生まれ
LOTUS』同人、編集担当

第四回芝不器男俳句新人賞城戸朱理奨励賞受賞