以前( )俳句通信第五号にて「花修」の句集評を掲載させていただいたので今回はそれとは違うことを書こうと思う。興味がある方は( )俳句通信のバックナンバーもチェックしていただきたい。
くちびるを花びらとする溺死かな
墓標より乾きはじめて夜の秋
夕焼けて輝く墓地を子等と見る
暴力の直後の柿を喰いけり
快楽以後紙のコップと死が残り
掲句は花(平成十四年~十七年)から引用した。序盤から「溺死」「墓標」「墓地」「暴力」「死」など、決して明るいとは言えない句材が多く見られるのが「花修」の特徴だと思う。背景に「震災」を匂わせているところが大きいのだろうか。暗い句集なのかと思えば、
きっかけは初めの一羽鳥渡る
一匹の鳥が飛び立った。その後を追うように三羽四羽五羽…と飛び立っていく。爽やかさを感じる句や、
おでんの底に卵残りし昭和かな恐らく屋台だろう、おでん出汁の底からぬっと顔を出す煮卵が電球に照らされてつやつやと光っている。懐かしさにも似た曾根氏の実感が下五に表れているような暖かい句や、
天牛の眼が遊び始めたる一句目、眼をキョロキョロさせているのだろうか。僕はどちらかというと触角を揺らしているような景が思い浮かんだ。
地球より硬くなりたき団子虫
二句目、丸まっている団子虫の気持ちを代弁したような語り方に面白味を感じる。
このような面白味のある句など、他にもバリエーション豊富に掲載されている。
「花修」のもう一つの特徴として、俳句であまり使われることがない言葉が多く見受けられる。セシウムやマイクロシーベルト、プルトニウム等に関しては( )俳句通信の方に掲載させていただいたので割愛する。
玉虫や思想のふちを這いまわりこれらの「思想」「憲法」「出棺」「樹脂管」などは俳句で使われることがほとんどないように思う。それらの言葉を無理なく自然に詠み込んでるのは「花修」の特徴であり、魅力であろう。
憲法と並んでおりし蝸牛
玉葱や出棺のごと輝いて
樹脂管を探しておりし稲光
冬めくや世界は行進して過ぎる俳句は瞬間を詠む文学である、とよく言われる。「花修」の世界は一句一句の瞬間と瞬間とが緩やかに繋がって、まるで行進する世界のように一つの物語として読者を楽しませてくれる。
【執筆者紹介】
- 小鳥遊栄樹(たかなし・えいき)
「里」同人、「群青」同人、「若太陽」所属、「ふらここ」所属