2015年10月30日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 5】  ネガの貫之 / 橋本小たか


          
正岡子規が大いにくさしたせいで俳人にも有名になった。

『古今和歌集』であって、四季の巡りと朝廷の繁栄を予祝する、我が国はじめての勅撰和歌集。歌いぶりはめでたく大らか。たとえば素性法師の「見わたせば柳桜をこきまぜて宮こぞ春の錦なりける」。

どうしてめでたく大らかな気がするのだろう。もちろん『新古今』ほどに内容が込み入ってないということもある。しかし、先ほどの歌を声に出してみれば、あるいは、

霞たちこのめも春の雪ふれば花なきさとも花ぞちりける
というような紀貫之の春の歌を口すさんでみれば、もっとシンプルな秘密にわれわれは気づかないだろうか。アカサタナなど、「ア列」の多用である。

貫之の歌は「かすみたち」とはじまる。「このめも」とくぐもったかと思うとすぐさま「はるのゆき」。「ふれば」を前ふりのようにして、「はななきさともはなぞ」と「ア列」が怒濤のように連続する一首のサビにむかう。そして「ちりける」と収束。

貫之の秋の歌を見てみよう。

やどりせし人のかたみか藤袴わすられがたき香ににほひつつ

先ほどの「霞たち」と「ア列」の使い方がよく似ている。ほとんど「ア列」を際立たせることに主題を置いた、言葉の音楽のように見えてこないだろうか。

あのころの歌は宴など大勢が集まるパブリックな場で披露され、喝采を浴びるための芸だったから、花やかな調子が必要だった。四季の運行を司る神様を鼓舞するにも明るさは必要だったに違いない。アイウエオの中で最もひらかれた「ア列」の音は朗朗と人へ神へ歌い上げるための要だった。

そして曾根俳句もまた、「ア列」でできている。

立ち上がるときの悲しき巨人かな


のっけから「たちあがる」「かなしき」。その他、句集前半から「ア列」多用の句をざっと拾ってみよう。

桃の花までの逆立ち歩きかな
かかわりのメモの散乱夕立雲
玉虫や思想のふちを這いまわり
影と鴉一つになりて遊びおり
かたまりし造花のあたり春の闇
初夏の海に身体を還しけり
玉葱や出棺のごと輝いて
墓場にも根の張る頃や竹の秋
五月雨や頭ひとつを持ち歩き
或る夜は骨に躓き夏の蝶

引用句を飛ばさずまじめに読んだ人には、そのほとんどが「ア列」ではじまり中七でくぐもってまた「ア列」に還るという不思議にパターン化された音楽となっていることが分るだろう。ちょうど、貫之のように。

曾根が『古今集』その他王朝和歌から、宴の調子を学んだとは言わない。

ただ「ア列」の多用によって無意識に感じさせられる明るさ・めでたさ・大らかさの中で、われわれ読者はその予感を裏切るいささか不吉な言葉の連なりを見守ることになる。めでたい口調で不吉なことを詠むこの調子は、きっとオーウェルの『1984』ではなく、ハックスリーの『すばらしい新世界』に近い味だ。

そしてもう一つ、この「ア列」多用のため、曾根の句のパブリックな性格が高まるという事情も重要だ。それは一個人のつぶやきというよりも、ちょうど宴で披露されたあの宮廷歌人たちの和歌に似て、音がひらかれている。貫之の歌の声量が大きかったように、その入れ込まれている内容自体はポジとネガのように明暗反転しながら、曾根の句もまた声量が大きいのだ。曾根俳句は二十一世紀という宴に参加せざるをえないみんなのための歌だった。そういえば、例のセシウムの句も「薄明と…」と、めでたく「ア列」から始まる。

おもしろいのはこうしたスタイルが、『花修』という(そう、「ア列」はじまりの)タイトル及び表紙の美しいイラストと、その中身の関係にも当てはまることだろう。ここにもまた、からっと不吉な「すばらしい新世界」がひろがっている。彼は本の形式を利用して自らの句風を再現した。


さて、ことのついでに曾根の作品から上五に使われた「ア列」はじまりで且つ曾根らしいマイナスイメージの単語を拾ってみよう。

爆心地、敗戦日、悪霊、墓場、般若、化野、断崖、三界、暗室

つぎは、唐突な出だしシリーズ。

かたまりし、限りなし、ありありと、傾いて、やがて微塵の

※『古今和歌集』の歌は岩波文庫版(佐伯梅友校注)から引いた。ただし一文字開けは反映していない。




【執筆者紹介】

  • 橋本 小たか(はしもと・こたか)