2015年7月21日火曜日

【俳句新空間No.2】 津髙里永子作品評 / 西村麒麟



育ちすぎたる病院の熱帯魚 津髙里永子
たくさん綺麗ね。えぇ、とっとも、元気そうで。そう言いつつも、心の底でわづかながら面白くない。あらいやだとその思いをまた消そうとする。熱帯魚は元気に、今日も増えたり減ったりしている。やたらに美しい魚め。

酔へるなりノンアルコールビールでも 里永子
そんなことはないだろうと思うけれど、この言葉はよく聞く。病の場合と単に酒が弱い場合とかあるが、両方悲しい。

リモコンの失せし冷房装置かな 里永子
これはよくある。そんな時にはただ煩い巨大な箱のような物で、もちろん、役に立たない。無用の用と言う言葉も虚しい。

2015年7月20日月曜日

【俳句新空間No.2】  中西夕紀作品評 / 西村麒麟

 

向かひ合ひボート漕ぐ父独り占め 夕紀
世の中の全ての父が羨ましがるに違いない。息子でも良いが、そう読むと少し甘い。やはり娘の方が句が美しい。父親とはボートを漕ぐ男の力と、娘が見るに足る面構えが必要なのだろう。娘にはそれが誇らしい。

混み合へる仏壇を閉ぢ夏蒲団 夕紀
そう言えば仏壇は混みあっている。よく見るあたり前なことだけれども、よく観察すると仏壇とは妙なものだ。パタンと閉じて、眠る。仏壇の中の人も眠る。

ゆふぐれを白扇の行く厳島 夕紀
源氏と平家では文句無しに平家の方が好きだ。源氏なら昼、平家ならゆかしい夕暮れか。白は平家で厳島は清盛の夢だ。扇とくれば那須与一め。それぞれの言葉から平家の魂がちらちらする。作者もきっと平家贔屓に違いない。

2015年7月17日金曜日

【俳句新空間No.2】 津高里永子の句 /もてきま


水音の絶え間なき駅避暑期果つ 津高里永子
「みなおとのたえまなきえきひしょきはつ」と読む。句の意味は自明。むしろ中七、下五に畳まれるように三つのki音の響き。それが避暑地の噴水のある駅の様子を思い起こさせて快い。漣のように寄せる一夏の思い出に耽り抒情詩の象徴のような水色のワンピースの女性が立っている。他に〈字のごとく打ちし蚊落ちて紙の上〉。

2015年7月16日木曜日

【俳句新空間No.2】 福田葉子の句 /もてきまり


脈拍はレゲエのリズム海晩夏 福田葉子
「レゲエのリズム」という捉え方がいい。夏も終わりの海での出来事。かなり疲れがでて脈拍が速くなってしまった経験。深刻でなくむしろ少し滑稽というかキッチュに近い味。〈死後のごと湯船に赤いバラ浮かべ〉この句もいい。白いバラでは付きすぎで、ダメ。黄色もピンクもいただけない。赤でないといけない。なんかここまで書いて作者の一側面がみえてきたような、だって「レゲエ」「赤いバラ」に次に披露するのは「恋」。〈茅花野に仮の一夜を恋わたる〉ひたむきな茅花のせつなさ。「仮の一夜を恋わたる」ああ、もう涙なくしては語れない。

2015年7月15日水曜日

【俳句新空間No.2】 堀本吟の句 /もてきまり


ポリフォニーひそむ水田つばくらめ 堀本吟
ここでのポリフォニーは間テクスト性詩学のルーツであるバフチンのポリフォニーかなと。(←Wikipedia知識〈汗〉)「ポリフォニーひそむ」とはつまりいろいろな声、考え方、感じ方がひそんでいるくらいの意味。じゃあ「水田」とは何?となるのだが、私は、ここは大胆に俳句現場の表象としての「水田」という事にしたい。日本特有の「水田」には春夏秋冬があるし、畦でしきられるブランドもあり、♪こっちの水は甘いぞ的要素があったりする俳句のトポスとしての「水田」。でね、吟さんが、水田を高く低く飛んで批評などを書いている姿「つばくらめ」。でも時に〈超新星死に体じゃあと叫び声〉のスランプも。このキュチュな表現も又、愛すべし。