火星人八手の花に隠れたり 網野月を
この「火星人」という唐突さが面白かった。八手は葉が大きく日影好みの植生である。あの裏には火星人が手だけ隠せずに身を隠しているような気がして来た。そう、あのロボットの触針のような八手の花は火星人の手かもしれない。他に〈わたくしはMr.不器用日数える〉網野さんのおおらかさを想った。
火星人八手の花に隠れたり 網野月を
こっちのとそっちのこがらしごっつんここがらしという風には独特の、さびしい質量を感じる。春風や秋風と比べてその強さに大きな隔たりがあるのはもちろん、青嵐や空っ風のような勢いとも異なって、街を吹き渡る。こがらしは街全体に覆いかぶさる風というよりも、街とぶつかり、その中を突き進みながら研がれてゆくような荒々しさを感じるのだ。二つの筋になったこがらしがぶつかりあうひびき、「ごっつんこ」。口語表現の作品のなかにはときに稚拙さを感じさせるものが存在する一方、この句では「ごっつんこ」という擬態語が表現するこがらしの質量をストレートに読ませている。
駱駝の頭は瘤より低い冬至の陽そう言われるとそんな気がする。このニ十句作品においては海外詠の匂いがしないから、この駱駝は冬至の日の人気のない動物園などを思い浮かべればよいだろうか。しかし、この一句を読む限りでは、砂漠地帯の風物として読んだ方が「冬至の陽」のスケールが一層引き出されるような気がして惜しい気もする。歩むときなどは、駱駝の頭の方が瘤よりも低いのだろうか。冬至の陽を背景に、駱駝の頭、そして瘤がシルエットとなって目の前を通り過ぎてゆく。冬至の厳しさのなかに、駱駝は屹立しているのだ。
あの世にて師に見ゆまで熱帯夜 網野月を
野生種のような長女や山ツツジ 網野月を「野生種のような」すてきな長女さん。と言っても、もう年頃だから親としてはとても複雑。山ツツジのあの朱色を好きな方は多いのでは・・・。〈五月病むかし甕割り今ガシャン〉こちらは長男の方?大学に入りたてはとかく五月病にやられます。むかしは親と口喧嘩などしてお気に入りのアンティークの甕など割ってくれた程度でしたが、今は電話かけてもろくに会話もしないで「ガシャン」なんです。はい、我が家もそうでした。他の印象深い句に〈かたつむり殻持ち運ぶ自衛権〉。
密会の兄者に淡き春の雪 福田葉子一見、艶っぽい句にも思えるが、そうではないだろう。題は「反魂歌」であるので、この「密会」はシリアスなものである。作者にとっての「兄者」かどうかは不明だが、大変ごとに遭遇している「兄者」の熱を雪が冷ましているようだ。春の雪にそうした情緒が込められている。
筑紫野のガソリンスタンド匂ひけり 夏木 久「楽浪之思賀乃辛碕雖幸有 大宮人之船麻知兼津」と前書きがある。他の九句のもすべて万葉仮名?の前書きが付されている。筆者は万葉仮名を善く読まないが、同時に船はガソリンが燃料なのかも知らない。他に「サクラサクトキニハハハニチチモサク」「ぜつぼうはふかふかしをりはるともし」など、作者の強烈な個性を同じく強烈な言葉に移して表現している。永田耕衣に「自分ともう一人が理解すればよい」というような言葉があるようだが、将にそのような潔さの上に成立している句だ。そうした自己完結的な世界の中で、表現する内容と叙述の方法が研ぎ澄まされていくのを作者本人が楽しんでいるかのようである。
枚方の叔母飼いたがる都鳥 羽村美和子
美しきひととよはひを重ねてゐ 筑紫磐井新春帖(追加)として別ページに十句のみ掲載されている内の一句だ。十句には「スタア誕生」の題が付されていて、一見何れの句も漢字と仮名文字の取り合わせが有する句々である。内に一字空けの句と、句読点入りの句が一句ずつある。掲句はご伴侶と共に新年を迎えた慶事を叙しているようだ。が、「美しきひと」は伴侶とは限らない。例えば俳句の上での盟友であったり…。「美しき」が何を以ての修飾語なのかを明示していない点が巧みである。読者の想像力へその読みを委ね切っている。無防備なまでにだ。そこに新感覚のポエジーが生ずるのであろう。「かなしきほど騙されやすきくせいつも」「未知のものつねにうるわし水中か」「おしやれして出かける先はひとりもの」なども同様の手法で叙されている。
寒き日や「ヒロユキ御飯食べた?」と訊く 北川美美次に配されている句は「食べられる蒲公英を摘む息子かな」である。ヒロユキは蒲公英を摘んで食したのであろうか?初読の際にそう錯覚した。多分、この二句に関係性はないであろう。句の構成は文語に切れ字「や」の上五、中七座五は括弧で括られた口語体の疑問文でご丁寧に?マークが付されている。終わりには終止形の動詞だ。何とも奇態な構えである。むろん二十句の中に異質な掲句が一句だけ挿入されている所が作者の工夫でもあり、二十句を面白くしている由縁である。ヒロユキの片仮名書きはヒロユキと作者が面識のないことを示していて、「ヒロユキ御飯食べた?」の会話が何処からか作者の耳へ聞こえてきたように表現されている。ヌーベルバーグ的偶然を演出して見せている。
兎肉つるりと祝祭の近き 太田うさぎ
残雪をすすむやブーツ磨かるる 堀田季何踏み入れた雪の中で、ブーツに着いた泥が落ちてゆく景である。それを「磨かるる」と表現した。受動態にしたことで、作者の歩く行動がかすんで、残雪が主語となってブーツを磨いている錯覚にとらわれる。中七の「や」で句切れを作って、前半と後半の主語(=主体)が入れ替わる技法である。残雪へ踏み込んでゆく作者が、世の中の汚れを落としてゆくようにも読め、奥深い句である。
沖萌えて一点透視せば産土 堀本 吟