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2016年12月16日金曜日

【俳句新空間No.3】 大本義幸の句 / もてきまり


夕暮れがきて貧困を措いてゆく  大本義幸
「夕暮れ」の擬人化。「貧困」という観念の物質化に成功している。昼間は、人それぞれに生きるに忙しく、やれやれと一息つく夕暮れ時になるとなにやら佇まいの貧しさが気になるのである。あるいは人類の夕暮れ時、類としての貧困がどんと卓上に課題として措かれていく意にも取れる。時間的な遠近法といい、こうした句は作れそうでなかなか作れないものだ。他に〈ノンアルコールビールだねこの町〉日本中、どこへ行っても、やや安普請のノンアルコールビールふう町並が増えた。

2016年5月13日金曜日

【俳句新空間No.3】 大本義幸作品評 / 大塚凱



 二十句の連作作品として、貧困や災害、老いといった社会的な主題性に富んだ作品であった。

  年収200万風が愛した鉄の町
上五の「年収200万」にやや饒舌な印象をもったことや「風が愛した」という表現にお洒落すぎる危うさを感じたことは否定できないが、「鉄の町」と止めたことで句になった。風に吹かれている人物まで、景が立ちあがってくるようだ。

  やわらかき右脳路地裏の猫よ
誰の右脳がやわらかいのか。作者か。人間みんなか。猫か。否、右脳のやわらかさのイメージが、「路地裏の猫」にオーバーラップされているように読みたい。猫はやわらかに、しなやかに、苦しみに満ちた人間の生活の端っこで自らの生を営んでいる。そんなぼんやりとした生き様の猫に、一種の救いを感じるのだ。

  天災と朝顔ポストは右へと曲がる

 この連作の中で最も惹かれた句であった。とある路地に、朝顔が咲いている。おのずから、曲がって捻じれている。この町ではポストもまた、天変地異によって右曲りになってしまったようだ。朝顔とポスト、この異質な二物の姿が重ね合わせられている歪さに惹かれる。天災という見えない力が、街を歪めてしまったのか。

2015年10月2日金曜日

【俳句新空間No.3】 大本義幸の句 / もてきまり



夕暮れがきて貧困を措いてゆく  大本義幸

「夕暮れ」の擬人化。「貧困」という観念の物質化に成功している。昼間は、人それぞれに生きるに忙しく、やれやれと一息つく夕暮れ時になるとなにやら佇まいの貧しさが気になるのである。あるいは人類の夕暮れ時、類としての貧困がどんと卓上に課題として措かれていく意にも取れる。時間的な遠近法といい、こうした句は作れそうでなかなか作れないものだ。他に〈ノンアルコールビールだねこの町〉日本中、どこへ行っても、やや安普請のノンアルコールビールふう町並が増えた。


<冊子【俳句新空間No.3】2015(平成27)年1月作品詠,新春帖所収>

2015年9月9日水曜日

【俳句新空間No.2】作品詠鑑賞(大本義幸の句) / 夏木 久



 絵は抽象を、音楽は無調を、意味はリアルを超え、新たな人間存在の軽いリアルを模索する。なのに俳句はまだ写生?《ひらかなででもかけば(これは失礼!)。》
真摯に言葉に向かう、この姿勢を持って俳句に向かう(すでに近世にはあったのだが)、進歩であっても後退であっても、今はそれを考える、一番の愉しみとして。

死体を隠すによい河口の町だね 大本義幸
これは銀河の河口に違いない。口臭のきつい団塊世代の先輩が、インド旅行の思い出を―ガンジスに浮かぶ屍を見て、人生が変わった―と言っていた。そんな腐臭もこれには感じない。父母の屍も銀河まで来れば、生の香りを思い出すように謎めいて漂うようだ、曲解でも。


2015年6月15日月曜日

【俳句新空間No.2】 大本義幸の句 /もてきまり



風が喰(は)む硝子の歯ぎしりブラザー軒   大本義幸
その昔、いぶし銀のような声の高田渡というフォーク歌手がいて「ブラザー軒」を歌った。〈♪東一番丁ブラザー軒♪硝子簾がキラキラ波うち〉その向こうには死んだ親父と妹がいるというような設定の歌詞だったと思う。〈高田渡的貧しい月がでる〉無欲天然のその声にはファンが多かった。そしてカメラは急にパンして作者の現在形に。〈わっせわせ肋(あばら)よ踊れ肺癌だ〉〈さらば地球われら雫す春の水〉私達もいずれは「雫す春の水」なのだが、「わっせわせ」と自分の癌を皮肉な手つきであやし、句をむしろ明るい絶望に化けさせた。耕衣の言葉を借りて言えば自己救済と他己救済が同時になされている秀句だ。



2014年11月14日金曜日

【(『俳句新空間No.2』 平成二十六年[夏行帖]を読む】  第一夜 ワルツは踊らない〜大本義幸〜  / 中山奈々



この街の話をしよう。出来るだけ君が飽きないように話すけれどね。どうかな。元来、話下手だしね。まあ聞いておくれよ。

街にはね、馬鹿でかいモニュメントがあるんだ。とある祭典のために作られたそれは、異形そのものだった。神々しくもあり危なっかしくもある。いつの時代も外れたものはあるのだけれど、それは特別外れていた。

高度経済成長期。そんな風にあの時代を呼ぶのかな。時代に乗るんじゃなくて、時代を作るんだってパワーがあちこちに満ちていた。パワーといっても、目に見えないことには仕方ないね。だから街を開発した。ベッドタウンに、医療施設、大学誘致、それであの異形のものを据えたのさ。

あれから何十年経ったかな。街は錆れた。いや錆れるようなものはなかったか。何もかも中途半端に進んでは、頓挫した。ただ医療施設だけは全国屈指の誇るべきものになったよ。

しかしね、その医療施設だって一部の限られた人だけさ。看てもらえるのは。大きなところで看てもらいたい、その、なんだ、われわれのような、少し金に恵まれないものは市民病院に行く。なあ、知ってるかい。市民病院をもじって「死人病院」なんていうのを。誰も表立って言わないけれど。あるんだよ、そういうものはさ。見ないように聞かないようにしているだけで。


あの陰影死者を運ぶエレベーター    大本義幸
病院で死ぬということ犬ふぐり

ここと隣街との間には川が流れていてね。ブルーシートが川に沿って綺麗に並ぶんだ。それが何か、君に分かるかい。


死体を隠すによい河口の町だね    大本義幸

隣街は県庁所在地だし、こっちは高度経済成長期の異形を遺す地だ。どちらの街も、少子高齢化を嘆き、子育てをしやすい街を目指している。大事なことさ。でもこの街に住む子どもに戻っていく老人たちはどう住めばいいのかな。知っていたら、教えておくれよ。

老犬がひく老人暮れてゆく          大本義幸