西行をクリックすれば花ふぶき 夏木久夏木さんのPCのデスクトップには「西行」というアイコンがあり、そこをクリックすると「花ふぶき」のごとく沢山の作品がでてくる様子を想像した。最近、『神器に薔薇を』というハンドメイドの句集を上梓されたのだが、句集自体そのものがオブジェのようであり、所収されている句も攝津幸彦が生きていたら、思わずニヤリとするだろう句が並んでいる。他句に〈鮮明な義眼の夢を水中花〉「鮮明な義眼の夢を」というひねりようといい、下五の「水中花」をさらにゆらゆらと揺らす効果として格助詞「を」で切る技が冴えている。季語を手放すことなく前衛的な試みをしている作家だ。
2017年4月24日月曜日
【俳句新空間No.3】 夏木久の句 / もてきまり
2017年1月13日金曜日
【俳句新空間No.3】夏木久作品評/ 大塚凱
本作は西行の和歌十二首を引用し、その一句一句に問答する形で計十二句が並べられている。西行の〈心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ〉に対して〈もうすでに自暴自棄なり百合鷗〉と遊んだり、かの著名な〈道のべに清水ながるる柳陰 しばしとてこそ立ちどまりつれ〉には〈墨東の柳にティッシュもらひけり〉と滑稽さで応えている。
月を見て心浮かれしいにしへの 秋にもさらにめぐり逢ひぬる
月光は土砂降り子らの踊り出しこの句の「踊り出し」を季語と捉えるかどうか難しいところだが、月光のなかで子らが踊に混じり出したと解釈した。「月光が濡れている」などの表現はかなり手垢がついてしまっているが、「土砂降り」まで言い切った大袈裟が良い意味で馬鹿馬鹿しい。
吉野山こずゑの花を見し日より 心は身にもそはずなりにき
鮮明な義眼の夢を水中花不思議な句だった。義眼が水中花を見ている空想のようだが、義眼を水中花が比喩しているようでもある。そのわからなさが一種の魅力なのであろう。義眼のまなざしの向こうに、一輪の水中花が灯っているようだ。
2015年9月16日水曜日
【俳句新空間No.2】 夏木久の句 /もてきまり
TOKYOや海市となりて流れ寄り 夏木久「見渡せば花ももみぢもなかりけり 浦のとまやの秋のゆふぐれ」という藤原定家の歌が前詞として置かれている。今、繁栄の絶頂期にある東京。それを毀れやすいブロックのようなローマ字で「TOKYO」と表記。前詞の「見渡せば花ももみぢもなかりけり」に対応する部分の「TOKYO」である。榮枯盛衰は世のならいと言うが如く、そこはかとなく花も紅葉もない廃墟の東京のイメージが浮き上がる。原因は浜岡原発かどうかは、誰もわからない。すでに「海市となりて流れ」寄る東京。「TOKYOや」といちようは切れているものの、私には「TOKYO」と「海市」がオーバラップして見えた。他の好きな句に〈旅人や袖にサハラの月を入れ〉。
2015年9月11日金曜日
【俳句新空間No.2】作品詠鑑賞(堀田季何の句) / 夏木 久
鮨握るうちにバッハの拍となる 堀田季何バッハだ!この魔術から音も詩も脱出出来るか?心地良い和音メロディと説明しやすい意味の言葉、二足歩行で鍛えたこの大脳は、それで満足に漂えるのか、現を。
ラベル:
NatsukiHisashi(夏木久),
堀田季何
2015年9月10日木曜日
【俳句新空間No.2】作品詠鑑賞(網野月をの句) / 夏木 久
あの世にて師に見ゆまで熱帯夜 網野月を
今は昔、師がいた頃が懐かしい。詩に師は要らぬ、がモットーだったが、知人に言われ、とある師の誌に参加した。袂を分ったが、この先そのことは熱帯夜を漂うようなものだろうか、俳句の世界に足を入れてる限り?
ラベル:
NatsukiHisashi(夏木久),
網野月を
2015年9月9日水曜日
【俳句新空間No.2】作品詠鑑賞(大本義幸の句) / 夏木 久
絵は抽象を、音楽は無調を、意味はリアルを超え、新たな人間存在の軽いリアルを模索する。なのに俳句はまだ写生?《ひらかなででもかけば(これは失礼!)。》
真摯に言葉に向かう、この姿勢を持って俳句に向かう(すでに近世にはあったのだが)、進歩であっても後退であっても、今はそれを考える、一番の愉しみとして。
死体を隠すによい河口の町だね 大本義幸これは銀河の河口に違いない。口臭のきつい団塊世代の先輩が、インド旅行の思い出を―ガンジスに浮かぶ屍を見て、人生が変わった―と言っていた。そんな腐臭もこれには感じない。父母の屍も銀河まで来れば、生の香りを思い出すように謎めいて漂うようだ、曲解でも。
2015年7月23日木曜日
【俳句新空間No.2】夏木久の句 / 小野裕三
書初は遠い喇叭の水辺かな 夏木久書初、喇叭、水辺。この三つにいったい何の関係があるのだろう。いろいろと連想を働かせてみるが、どうにもそれぞれに縁遠い関係としか思えない。いわゆる二物衝撃というのとも違う、なんだか不思議な間合いがそこにはある。書初と喇叭と水辺と、その三つのものの間にぽっかりと空いた、まるでポテンヒットを生みそうな空間。なるほど、これはつまりポテンヒット俳句なのかも知れない。三つのものの距離感を巧みに操って、読み手の意識を思ってもいなかった空白地点へと誘導する俳句。もちろん、誰もが成功するやり方でもなく、言葉に対するセンスのようなものがないと、この企みは成功しないだろうが。
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