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2016年3月25日金曜日

【曾根毅『花修』を読む47 】 夜の端居 / 西村麒麟




立ち上がるときの悲しき巨人かな

作者の詠む幻はくっきりと見える。読者はこの悲しき巨人をただただ見送るしかない。巨人を見送る時間は、どこか安らかな感じがする。

夕焼けて輝く墓地を子等と見る

平凡な内容の句に見えるが、この句集を何度か読み返す時、不思議と立ち止まる一句。私も、子ども達も、必ず墓におさまる時がくる。墓地を見て、墓地を穏やかだと思う心は、さみしいけれど確かにある。

夜の秋人生ゲーム畳まれて

私もまた、人生ゲームの駒のように、何者かに操られたり、畳まれたりする存在ではなかろうか。なんてことまで考えはしないが、人生ゲームの片付けは妙なものだ。

朧夜の人の頭を数えけり

頭がぼんやりと浮かんでいて、それぞれに大した違いが無いようにも見える。作者も、読者もぷかぷかした頭の一つ。

秋風や一筆書きの牛の顔

すっきりと、穏やかなに、優しく、現実にはなかなかそうはいかない。この牛は作者の理想美だろう。

日本を考えている凧

どうなることやら。まぁ、いいか、と考えている凧。凧が作者のようにも見えて可笑しい。考えているような、考えていないような、そんな具合がいい。

鰯雲大きく長く遊びおり

空には壮大なものが遊んでいると思うと嬉しくなる。天上も地上も、遊びは大きな方が良い。

頭とは知らずに砕き冬の蝶

いつまでも心にこびり付くような思い出というものがある。ここでの「砕き」は最適の言葉だろう、それだけに哀しい。

闇に鳩鳴けば静かに火を焚かん

ささいなことで、目前の景色を異界と感じることがある。作者にとって、そこは静かで穏やかな場所なのだろう。鳩も火も闇も現実であって、異界でもある。その境界線はぼんやりしている。

他にも

影と鴉一つになりて遊びおり 
さくら狩り口の中まで暗くなり 
ぬつと来てぬつと去りたる鬼やんま 
どの部屋も老人ばかり春の暮


の句に惹かれた。

惹かれた句には、夜風のような良さがある。夜風は変に励ましたりしないところが良い。目を細めて夜風を味わう。夜の端居をしていると、素敵な幻も見えてくる。

あぁ、そうか。

『花修』はどこか、夜の端居のようだ。


【執筆者略歴】

  • 西村麒麟(にしむら・きりん)

1983生まれ。「古志」同人。

2015年7月21日火曜日

【俳句新空間No.2】 津髙里永子作品評 / 西村麒麟



育ちすぎたる病院の熱帯魚 津髙里永子
たくさん綺麗ね。えぇ、とっとも、元気そうで。そう言いつつも、心の底でわづかながら面白くない。あらいやだとその思いをまた消そうとする。熱帯魚は元気に、今日も増えたり減ったりしている。やたらに美しい魚め。

酔へるなりノンアルコールビールでも 里永子
そんなことはないだろうと思うけれど、この言葉はよく聞く。病の場合と単に酒が弱い場合とかあるが、両方悲しい。

リモコンの失せし冷房装置かな 里永子
これはよくある。そんな時にはただ煩い巨大な箱のような物で、もちろん、役に立たない。無用の用と言う言葉も虚しい。

2015年7月20日月曜日

【俳句新空間No.2】  中西夕紀作品評 / 西村麒麟

 

向かひ合ひボート漕ぐ父独り占め 夕紀
世の中の全ての父が羨ましがるに違いない。息子でも良いが、そう読むと少し甘い。やはり娘の方が句が美しい。父親とはボートを漕ぐ男の力と、娘が見るに足る面構えが必要なのだろう。娘にはそれが誇らしい。

混み合へる仏壇を閉ぢ夏蒲団 夕紀
そう言えば仏壇は混みあっている。よく見るあたり前なことだけれども、よく観察すると仏壇とは妙なものだ。パタンと閉じて、眠る。仏壇の中の人も眠る。

ゆふぐれを白扇の行く厳島 夕紀
源氏と平家では文句無しに平家の方が好きだ。源氏なら昼、平家ならゆかしい夕暮れか。白は平家で厳島は清盛の夢だ。扇とくれば那須与一め。それぞれの言葉から平家の魂がちらちらする。作者もきっと平家贔屓に違いない。