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2015年9月25日金曜日

【俳句新空間No.2】 津高里永子の句 11 / 仲寒蟬



水音の絶え間なき駅避暑期果つ  津高里永子
「夏果つ」でも「休暇果つ」でもなく「避暑期果つ」である。これによって作者がいま避暑地にいると分かる。避暑の客が去った後の避暑地の駅、そこに水音が絶えない。もう水の秋が来ているのだ。夏の終りや夜の秋と水音との取合せは珍しくないが「避暑期果つ」とずらしたのが効いた。フェードアウトしていくような終わり方は最初の句と呼応して読者を大景へと連れてゆく。
 全体を通して読んで爽快感を覚える。引きずる感じがなくテンポがいいのだ。力まずに季節の移り変わり、生活の流れを淡々と、しかし作者の存在感をしっかりと刻む形で詠まれている。それが出来るにはかなりの力量が必要なのだが。

2015年9月23日水曜日

【俳句新空間No.2】 津高里永子の句 10 / 仲寒蟬



羽抜鶏搔きし砂場の砂黒し 津高里永子
連作では終わり方もまた大事。このような光景は羽抜鶏の句としては珍しいのではないか。羽抜鶏そのものの風情や哀れさに注目するのが常道であろうが、鶏が引っ掻いた砂場の砂が黒いという発見だけを詠んだ。しかし肩透かしを食ってもあまり嫌な気分ではない。それは目の前の景がきちんと書かれているから、作者が、従って読者もそこにいるという臨場感が味わえるから、であろう。

2015年9月3日木曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 9 / 仲寒蟬


友引の日か空蟬の脚欠けて 津高里永子
全体の題となった句である。「て」で終わっているせいもあって決して重くれていない。空蝉の脚の欠けたのを見て何故かそう言えば今日は友引だと思い出す。縁起でもないと思わなくもないけれども気分としては極めて軽い。

2015年9月2日水曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 8 / 仲寒蟬


勉強と仕事と眼鏡して昼寝    津高里永子

 これもどこか力の抜けたような所のある句だ。時はいま夏休み。一日のスケジュールを羅列したような軽さ。ただし勉強と仕事の両立が大変そう。だから眼鏡をしたまま昼寝する羽目になる。

2015年8月7日金曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 7 / 仲寒蟬



不公平なるが神様西瓜切る 津高里永子
これも箸休めの句だが他の句とはいささか趣が違う。上後中七では神様の不公平を謗るものの決して強い口調ではない。むしろ投げやりで諦めの雰囲気が漂う。その証拠に下五には西瓜を切るという極めて日常的な行為が付く。なるほど西瓜も公平に切ろうとしたところで機械のようにきっちりとはいかない。

2015年8月6日木曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 6 / 仲寒蟬



網戸より潮風夜間飛行の灯   津高里永子

 所謂二物衝撃の句。暑いので網戸にしてあるのだが海が近い場所らしくそれを通して潮風が入ってくる。羽田空港の近くなどを思い浮かべればよい。如何にも気持ちのいい夜だ。やがて網戸越しに夜空を横切る光が見える。ああ、あれは夜間飛行の灯なのだなと気付く。夏の夜のひと時を巧みに切り取っている。

2015年8月5日水曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 5 / 仲寒蟬


酔へるなりノンアルコールビールでも 津高里永子
これも軽い味わいの一句。しかしそれまで屋外の句であったのがこれを境にしばらく室内の句となる。場面転換の役目も果たしている。

2015年8月4日火曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 4 / 仲寒蟬



塀ぎはの紫陽花猫を濡らしけり 津高里永子
これはまた微妙な感覚の一句。塀際に植えてある紫陽花が少し前に降った雨のためまだ湿っている。猫は道の端や塀際を歩くので、紫陽花の葉に溜まった雫に触れ、濡れてしまうのだ。何気ない日常の一齣ではあるけれど、よほど注意して観察しないと中々こういう風には詠めないものだ。

2015年8月3日月曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 3 / 仲寒蟬


洗濯場暑し給湯室涼し 津高里永子
この句は対照的なものを対句のように並べるというひとつのパターン。それでもこういう息抜き的な句があると先へ読み進もうという気になる。二十句の中にはこのように軽いけれども通り過ぎるには惜しい作品がいくつかある。

2015年7月21日火曜日

【俳句新空間No.2】 津髙里永子作品評 / 西村麒麟



育ちすぎたる病院の熱帯魚 津髙里永子
たくさん綺麗ね。えぇ、とっとも、元気そうで。そう言いつつも、心の底でわづかながら面白くない。あらいやだとその思いをまた消そうとする。熱帯魚は元気に、今日も増えたり減ったりしている。やたらに美しい魚め。

酔へるなりノンアルコールビールでも 里永子
そんなことはないだろうと思うけれど、この言葉はよく聞く。病の場合と単に酒が弱い場合とかあるが、両方悲しい。

リモコンの失せし冷房装置かな 里永子
これはよくある。そんな時にはただ煩い巨大な箱のような物で、もちろん、役に立たない。無用の用と言う言葉も虚しい。

2015年7月17日金曜日

【俳句新空間No.2】 津高里永子の句 /もてきま


水音の絶え間なき駅避暑期果つ 津高里永子
「みなおとのたえまなきえきひしょきはつ」と読む。句の意味は自明。むしろ中七、下五に畳まれるように三つのki音の響き。それが避暑地の噴水のある駅の様子を思い起こさせて快い。漣のように寄せる一夏の思い出に耽り抒情詩の象徴のような水色のワンピースの女性が立っている。他に〈字のごとく打ちし蚊落ちて紙の上〉。

2015年6月23日火曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 2 / 仲寒蟬


育ちすぎたる病院の熱帯魚 津高里永子 

人を食ったような二句目。この病院の職員は熱帯魚を可愛がるあまり餌をやりすぎたか。それにしても場所が病院なので、具合の悪そうな患者さんの中にあって熱帯魚だけが健康そうに見え、皮肉っぽくておかしい。

2015年6月22日月曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 1 / 仲寒蟬



緑蔭にさがつて画布の木々を見る 津高里永子
連作では最初の数句が大事。その意味ではぐっと惹きつけられる始まりだ。絵を描いているのは作者だろうか、それとも絵を描いている人のすぐ近くにいるのか。いずれにせよ描き手は木々を描いているようである。全体を見渡すために画布から遠ざかって絵と風景とを見比べているのだ。すると自然にその人の身体が緑陰に包まれてゆく。読者もともに緑蔭に、そうしてこの「友引」という連作の世界へ誘われてゆく。