2015年6月25日木曜日

【俳句新空間No.2】  神谷波の句――いきものたちと人間の時間 1 / 佐藤りえ




名所の木陰にねむる通し鴨 神谷波

どこか名だたる場所を訪ね、ふとした木陰に眠る鴨を見た情景。鴨にとっては名所も名勝もないことだろう、水辺が保全されるなどして人が容易に近寄れないようなこともあるし、ならではの安全さを選んでそこにいるのかもしれない。通し鴨の束の間の休息に気づくのは、よそ見の楽しさのようでもある。

2015年6月23日火曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 2 / 仲寒蟬


育ちすぎたる病院の熱帯魚 津高里永子 

人を食ったような二句目。この病院の職員は熱帯魚を可愛がるあまり餌をやりすぎたか。それにしても場所が病院なので、具合の悪そうな患者さんの中にあって熱帯魚だけが健康そうに見え、皮肉っぽくておかしい。

2015年6月22日月曜日

【俳句新空間No.2】  津高里永子の句 1 / 仲寒蟬



緑蔭にさがつて画布の木々を見る 津高里永子
連作では最初の数句が大事。その意味ではぐっと惹きつけられる始まりだ。絵を描いているのは作者だろうか、それとも絵を描いている人のすぐ近くにいるのか。いずれにせよ描き手は木々を描いているようである。全体を見渡すために画布から遠ざかって絵と風景とを見比べているのだ。すると自然にその人の身体が緑陰に包まれてゆく。読者もともに緑蔭に、そうしてこの「友引」という連作の世界へ誘われてゆく。

2015年6月19日金曜日

【俳句新空間No.2】 前北かおるの句 /もてきまり


一時間時計をもどし街薄暑 前北かおる
「香港」という題がなければ、一瞬「えっ!」と思うのだが、なるほど香港時間は日本より一時間ほど遅いのだ。でも俳句って一句独立で読ませるので、この句はなかなかに不思議なテイストを持っている。外部=内部という世界観からか、作者は多作な写生派。その多作の中にコツンと日常の結界に言葉がぶつかる時がある。〈ぶらんこを捨てて帰国の荷を詰めに〉の「ぶらんこ」がそんな例だ。カシャと撮ったスナップ写真に作者さえ意図しない無意識の領域の小道具がバッチリ映る面白さがある。(尚この詳細は『断想』関悦史「ロータス25号」参照の事)

2015年6月18日木曜日

【俳句新空間No.2】 仲寒蝉の句 /もてきまり


品なしと鯰が泥鰌笑ひけり 仲寒蝉
泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む 耕衣『悪霊』〉の本歌取りである。が、観察眼の効いた皮肉な表現がたまらなくうれしい。実は鯰も泥鰌も句会仲間。で、おのずと鯰は太り気味なので動作が遅い。そこいくと泥鰌は感性的にもすぐ反応し軽い身のこなし(たぶん女性陣にも評判がいい)。そこで鯰氏は泥鰌氏のことを「品なし」と言って「笑ひけり」。この「けり」が物語の虚構性に一役かっていて妙。〈釣り人の夏を釣らむとしてゐたり〉の良質な俳味。〈浮巣から見ゆる自分がまざまざと〉と詠む作者の立ち位置はなかなかにクールなものだ。