一時間時計をもどし街薄暑 前北かおる「香港」という題がなければ、一瞬「えっ!」と思うのだが、なるほど香港時間は日本より一時間ほど遅いのだ。でも俳句って一句独立で読ませるので、この句はなかなかに不思議なテイストを持っている。外部=内部という世界観からか、作者は多作な写生派。その多作の中にコツンと日常の結界に言葉がぶつかる時がある。〈ぶらんこを捨てて帰国の荷を詰めに〉の「ぶらんこ」がそんな例だ。カシャと撮ったスナップ写真に作者さえ意図しない無意識の領域の小道具がバッチリ映る面白さがある。(尚この詳細は『断想』関悦史「ロータス25号」参照の事)
2015年6月19日金曜日
【俳句新空間No.2】 前北かおるの句 /もてきまり
2015年6月18日木曜日
【俳句新空間No.2】 仲寒蝉の句 /もてきまり
品なしと鯰が泥鰌笑ひけり 仲寒蝉〈泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む 耕衣『悪霊』〉の本歌取りである。が、観察眼の効いた皮肉な表現がたまらなくうれしい。実は鯰も泥鰌も句会仲間。で、おのずと鯰は太り気味なので動作が遅い。そこいくと泥鰌は感性的にもすぐ反応し軽い身のこなし(たぶん女性陣にも評判がいい)。そこで鯰氏は泥鰌氏のことを「品なし」と言って「笑ひけり」。この「けり」が物語の虚構性に一役かっていて妙。〈釣り人の夏を釣らむとしてゐたり〉の良質な俳味。〈浮巣から見ゆる自分がまざまざと〉と詠む作者の立ち位置はなかなかにクールなものだ。
ラベル:
2014(平成26)年8月作品詠,
MotekiMari(もてきまり),
No.3掲載,
仲寒蝉
2015年6月17日水曜日
【俳句新空間No.2】 神山姫余の句 /もてきまり
夏木立ルソーを蒼くぬってみる 神山姫余眼前には夏木立がある。それを表現しようとすると作者の潜在意識にあるアンリ・ルソー(あの素朴派ともいわれた葉の一枚一枚に輪郭線を克明に画き、同時代の潮流とは遠く隔たっていた画家)の絵がせりあがってきたのだ。そしてルソーの絵の中の葉を作者が持っている内面的なパレットから「蒼」を選び出しぬってみるというほどの句意なのだが、夏木立を二重、三重の位相で表出しながら不思議なさやけさがある。他に〈若鮎の眼の中にある死界かな〉〈終戦記念日 無数の針が立っている〉等、異界から覗こうとする眼(まなこ)の持ち主としての姿勢を感じた。
ラベル:
2014(平成26)年8月作品詠,
MotekiMari(もてきまり),
No.3掲載,
神山姫余
2015年6月16日火曜日
【俳句新空間No.2】 秦夕美の句 /もてきまり
水無月の汐留駅は黄泉の駅 秦夕美確かに地下にある駅は、夜昼の区別なく煌々と照明がつき、まして雨の季節ともなると濡れた傘と雨に裾などを少し汚した人々が行き交う景は背景に雨が見えないだけに虚構の舞台のようで、なるほど黄泉のようだ。そんな中、自画像として〈ぽつねんと私雨の鉄砲百合〉異界にまぎれこんでぽつねんとしながらもあちこちと首をふり観察を怠らぬかのような鉄砲百合的痩身の作者を想像してしまう。そして〈波布と会ふたそがれ熱のままの指〉「波布」とはあの猛毒の蛇のことだ。この句には妖気ただようエロスがあり凡者には怖いほどだ。
ラベル:
2014(平成26)年8月作品詠,
MotekiMari(もてきまり),
No.3掲載,
秦夕美
2015年6月15日月曜日
【俳句新空間No.2】 大本義幸の句 /もてきまり
風が喰(は)む硝子の歯ぎしりブラザー軒 大本義幸その昔、いぶし銀のような声の高田渡というフォーク歌手がいて「ブラザー軒」を歌った。〈♪東一番丁ブラザー軒♪硝子簾がキラキラ波うち〉その向こうには死んだ親父と妹がいるというような設定の歌詞だったと思う。〈高田渡的貧しい月がでる〉無欲天然のその声にはファンが多かった。そしてカメラは急にパンして作者の現在形に。〈わっせわせ肋(あばら)よ踊れ肺癌だ〉〈さらば地球われら雫す春の水〉私達もいずれは「雫す春の水」なのだが、「わっせわせ」と自分の癌を皮肉な手つきであやし、句をむしろ明るい絶望に化けさせた。耕衣の言葉を借りて言えば自己救済と他己救済が同時になされている秀句だ。
ラベル:
2014(平成26)年8月作品詠,
MotekiMari(もてきまり),
No.3掲載,
大本義幸
登録:
投稿 (Atom)