水音の絶え間なき駅避暑期果つ 津高里永子「夏果つ」でも「休暇果つ」でもなく「避暑期果つ」である。これによって作者がいま避暑地にいると分かる。避暑の客が去った後の避暑地の駅、そこに水音が絶えない。もう水の秋が来ているのだ。夏の終りや夜の秋と水音との取合せは珍しくないが「避暑期果つ」とずらしたのが効いた。フェードアウトしていくような終わり方は最初の句と呼応して読者を大景へと連れてゆく。
全体を通して読んで爽快感を覚える。引きずる感じがなくテンポがいいのだ。力まずに季節の移り変わり、生活の流れを淡々と、しかし作者の存在感をしっかりと刻む形で詠まれている。それが出来るにはかなりの力量が必要なのだが。