2015年9月1日火曜日

【俳句新空間No.2】  神山姫余作品評  / 羽村美和子



 
タイトルの「所在」には、あるようなないような自分の「所在」、あるいは居場所を求めているような感覚がある。(レ)を巧く受け取れないでいるが、返り点のレ、チェックマークのレなどが当てはまるのかも知れない。思春期の飢えや喪失感の漂う句群である。

  海面の白い航跡や裏切りの早さ 神山姫余
「航跡」を敢えて「海面の白い」と強調し、読み手の脳裏から消えないうちに、「裏切りの早さ」とぶつける。「裏切り」は白い波が見る見る消えていくことであり、人の「裏切り」でもある。景としては当たり前なのに、意外な表現をぶつけた面白さがある。

DNA滑り落ちて僕の夏 姫余
中学生か高校生の「僕」。エネルギッシュな季節であるが故の挫折感も「夏」にはある。全速力である分、躓けば一気に沈んでいく。自己否定さえ生じる。それを「DNA滑り落ちて」と表現した。思春期の若者にとっては、決してオーバーな表現ではない。俳句は一人称とは限らない。作者は目の前の「僕」にかつての自分を重ね、その喪失感に痛いほど共感している。

ざらざらと地球に還る我が髑髏 姫余
全く関係がないのに、尹東柱(ユンドンジュ)の詩を思い出した。独立運動の嫌疑をかけられ、日本で獄死した詩人だ。自分の死を予感したような詩の一節に「…行こう行こう/追われるもののように行こう/白骨に気づかれないように/美しいもう一つの故郷に行こう」というのがある。体を離れた、精神の昇華された世界を願った詩だ。背景にあるものは全く違うのに、掲句にもそれに似たものを感じる。「我が」精神は昇華され宇宙を漂う。それに対して「我が髑髏」は「地球に還る」しかない。だから「ざらざらと」の措辞なのだろう。作者のピュアな精神の願望を感じる。地球を俯瞰している感覚も良い。

告白の今日を知らずや蝶渡る 姫余
アサギマダラであろう。揚羽より少し小さく、黒に半透明の水色と褐色の模様がある美しい蝶だ。初秋に南西諸島の方へ「渡る」とか。幼虫の時毒性の高い草を食べ、自ら体内に毒を取り込むらしい。当然成虫も体内に毒を持つ。「告白」は掲句の場合、相手からの「告白」。内容は、恋なのか懺悔なのかわからないが、いずれにせよ本人は、傷つき狂おしいほどの思いを抱き、苦しさ故の決別を決意したというところであろうか。自虐性や自己否定の象徴として、毒を持つ美しいアサギマダラを配し、「蝶渡る」とした妙。青春性漂う句である。