2015年7月28日火曜日

【俳句新空間No.2】 高橋修宏の句 /もてきまり


完璧な死体なるべし心太 高橋修宏
これは寺山修司の詩、「昭和十年十二月十日にぼくは不完全な死体として生まれ何十年かかゝって完全な死体となるのである」の本歌どり(間テクスト)であるが、「心太」がなんとも巧だと思った。少し濁りある誕生。つーと突き出されてからの一生は短くて人に喰われてしまう。その喰った人間の一生もそのように又短いことをアナロジーさせる。〈日は生母月は養母の水くらげ〉この句も宮入聖の〈月の姦日の嬲や蓮枯れて後〉の句の形と響きあう。
水くらげというアンフォルメルな生命の形は精神的不安定な表象と取れる。確かにおおくの生命は太陽が「生母」。月は、その精神的なものを育み「養母」という把握。