冬・新年の季語を交えず、次第に深まってゆく春を二十句に収めた作品である。
砂時計未生の春を綯い交ぜてやや観念的な句であるぶん評価が難しい句ではあるだろうが、「砂時計」の砂に「未生の春」が「綯い交ぜ」になっているというユニークな発想に乗った。これから落ちゆくべき砂に綯い交ぜになっている春。やはり、未来を感じさせる季節だ。
脆さとは何だろうか。荒れ果てた野にけものが潜む。きっと、生き物としての脆さを孕んだけものだ。けものに明日はわからない。そんなけものと等しい生き物であるかのように、「脆き母」が存在しているのだ。作者に命を繋いだ「母」も、「脆きけもの」のひとつとして生々しく蓬生に立っている。
蓬生に脆きけものと脆き母
初蝶のかの一頭はダリの髭蝶の触覚や舌をダリの髭と見立てたのだろうか。奔放に飛んでいる蝶の姿が見えてきて面白い。ダリの超現実主義を思えば、飛びまわる蝶もまた静謐な狂気を帯びた存在に感じられる。ダリの絵の色彩も思われるようで、ユニークな作品である。ひとつ言うとすれば、陽炎の句の直後に初蝶の句が並ぶ季感には違和感を抱く。