2016年7月8日金曜日

【俳句新空間No.3】 中西夕紀初春帖(二十句詠)鑑賞/前北かおる


  
光塵の中に鹿立つ枯野かな  中西夕紀
「枯野」が季題で冬。「光塵」は耳慣れない言葉ですが、おそらく日差しによって浮遊する塵が光って見える状態を表しているのでしょう。逆光気味に低く差す日の中に無数の塵が輝いて見えている、その中に一頭の鹿が日を背負って立っている、そんな枯野よという俳句です。鹿は神の使いとされますが、ここに詠われた立ち姿には現実を超越したような神聖さが備わっています。「光塵」という漢語の響き、そして季題「枯野」の静けさが、この鹿の気高さを神々しさにまで高めています。

狐火を見しひとり欠け二人欠け  中西夕紀
「狐火」が季題で冬。昔、親しい数人で狐火を見たのでしょう。旅先か何かでさびしい夜道を歩いてというような状況を思い浮かべました。作者は、何十年か経って遠い記憶を思い出しているのです。その場所を再訪したのか、そうでなくても似たような夜道を歩いているのかも知れません。昔ほどには付き合いのない狐火の時の友人の顔を思い浮かべてみると、既に亡くなった人もひとり、ふたりいます。何だか自分自身の老いが実感され、ふと寂しい気持ちにとらわれたという俳句です。「狐火」という季題もそうですが、直接過去の助動詞を使って「見し」とだけ言った省略、「欠け」の脚韻の効果が、しみじみとした余韻を生んでいます。