水鳥の副葬品のごとき声 坂間恒子うーん、秀句なり。水鳥のあのいっときも整わない群れの鳴き声と遠い時代の副葬品が発見された時の(人骨の一部やら壺の破片やらがばらばらに赤土に現れた)光景とがオーバラップしたのだ。水鳥の声(音)を「副葬品」という景(絵)に転換させた感性がすばらしい。ごとき俳句はいちようにダメなんてことはない。そうしたタブーを乗り越えている。〈のぼる陽と我の真中の浜焚火〉二〇一一年の津波後を非情にも繰り返し「のぼる陽」(極大の赤)と内在化された言葉の「我の真中の浜焚火」(極小の赤)が拮抗していて緊張感ある一句を仕立てた。