2016年10月21日金曜日

【俳句新空間No.3】網野月を作品評 / 大塚凱



  こっちのとそっちのこがらしごっつんこ
こがらしという風には独特の、さびしい質量を感じる。春風や秋風と比べてその強さに大きな隔たりがあるのはもちろん、青嵐や空っ風のような勢いとも異なって、街を吹き渡る。こがらしは街全体に覆いかぶさる風というよりも、街とぶつかり、その中を突き進みながら研がれてゆくような荒々しさを感じるのだ。二つの筋になったこがらしがぶつかりあうひびき、「ごっつんこ」。口語表現の作品のなかにはときに稚拙さを感じさせるものが存在する一方、この句では「ごっつんこ」という擬態語が表現するこがらしの質量をストレートに読ませている。

  駱駝の頭は瘤より低い冬至の陽
そう言われるとそんな気がする。このニ十句作品においては海外詠の匂いがしないから、この駱駝は冬至の日の人気のない動物園などを思い浮かべればよいだろうか。しかし、この一句を読む限りでは、砂漠地帯の風物として読んだ方が「冬至の陽」のスケールが一層引き出されるような気がして惜しい気もする。歩むときなどは、駱駝の頭の方が瘤よりも低いのだろうか。冬至の陽を背景に、駱駝の頭、そして瘤がシルエットとなって目の前を通り過ぎてゆく。冬至の厳しさのなかに、駱駝は屹立しているのだ。