2016年2月26日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 40 】 曾根毅句集『花修』を読む / わたなべじゅんこ



 『花修』落掌、さて表紙の美しさにほれぼれしつつ、悩みが始まる。
「なんて読むんだろ?」・・・・・はなおさめ?かしゅう?個人的にははなおさめと読みつつ、タイトル横に添えられているふりがな「かしゅう」に気が付く。

目次には「花」「光」「蓮Ⅰ~Ⅲ」とある。花がお好きなんだなあ、と表紙絵のごとく明るい気分で読み始める。


 立ち上がるときの悲しき巨人かな

いきなり「悲しい」と言われて、こちらもなんだか悲しくなってしまう。しかもいまはやりの進撃の巨人?『進撃の巨人』とは平成21年より別冊少年マガジン(講談社)にて連載開始。したがって、掲句とは全くの無関係であることを了解し、もう一度掲句を眺める。


古来、巨人とは獰猛だったり、理不尽だったり、あまり人間と交感しない存在。ファンタジーではトロールなどに代表されるように愚かで乱暴なだけの存在として描かれることも多い(『ハリーポッターと賢者の石』1997、『ナルニア国物語』1950『ホビットの冒険』1937・・・トロールはもともと北欧神話に登場する妖精のこと)。

ふと、シーシュポスの逸話を思い出したのは大きな岩を惨状へ運ぶ姿をいつの間にか巨人の姿に置き換えていたと見える。ギリシャ神話に於けるシーシュポスは人であって巨人とは書かれない。あえて言えば巨岩を運ぶ労苦のひとである。

鶴二百三百五百戦争へ

200+300=500?それとも、200+300+500+・・・・? 数字に意味を求めつつ、たくさんの鶴が飛んでいく様を想像するとその迫力と美しさには圧倒されるにちがいないと確信が持てる。
一方で、この鶴が折り鶴という選択肢はないのか。折り鶴は願いの象徴であり、広島の原爆の子の像にはおそらく万の単位の折り鶴が捧げられているだろう。折り鶴が祈りを象徴する存在である以上、下五は平和でなければならないはずだ。それが予定調和だといわれても、そこは譲れない。しかしながら、戦争へ向かっていくわけだから、これはやはり折り鶴であってはならないのだろう。
鶴は北の国から来て北の国に帰る。これが日本での一般的な見方。とするなら、この鶴は北の戦争に帰って行くことになる。・・・なるほど、ロシアか。チェチェンに始まり今ではウクライナでも戦闘が続く荒れた北の大地である。

存在の時を余さず鶴帰る

これも飛び立っていく鶴の姿を捉えたもの。おそらくは一羽たりとも残らぬ潔い旅立ちの姿なのだろうと思う。とはいえ「存在の時を余さず」は難解。鶴自身の存在した時間ということでいいのか。「時」のなかに何か含み込んでいるようで、その「時を余さず」の内容がもう少し明確になればいいのにと思う。

春の水まだ息止めておりにけり

春の水が息をとめているのか?それとも私自身が息を止めているのか?どちらにも読める。まだ冷たい凍ったままの水が、あるいは凍みたままの雪が溶けて行く。そのことを「息止めて」といったのならば平凡か。             (以上ブログ記事草稿)

そんなこんな考えていたら空の会に招かれ、曾根毅氏の句集『花修』についてレポートをとのこと。同じ読むなら、とほいほいお引き受けして、過日報告してきた。以下、そのときの資料と後日改めて考えたことをここに記しておきたい。少々文体やらなにやら変わるかもしれないがお許し願いたい。

発表当日、私は大雑把に見て、曾根氏の句に三つの軸を見出した。

1宗教的語彙への指向性
2社会的な指向性
3本歌取り的な指向性
これらについて強い指向性を持っているのではないか、と句集から拾い上げたものを披瀝した。それをもとに、竹中宏氏は「象徴性の高い語を使う、多義的なものを目指す」というのがこの句集の特徴ではないかとまとめられた。また会場では、加田由美氏ほか数名から鈴木六林男の作風との強い類似性が指摘された。

以下が、当日配布した引用句である。(なお、より的確性を期し当日使用した用語は変更した)

〈宗教的語彙への指向性〉宗教的な語を念頭に置き作句しているもの。



永き日のイエスが通る坂の町



佛より殺意の消えし木の芽風
神鏡に近づいてゆく大百足
憲法と並んでおりし蝸牛
阿の吽の口を見ている終戦日
天高し邪鬼に四方を支えられ
悪霊と皿に残りし菊の花

蓮Ⅰ

しばらくは仏に近き葱の花
少女また桜の下に石を積み
墓場にも根の張る頃や竹の秋
春近く仏と眠りいたるかな

蓮Ⅲ

人の手を温めており涅槃西風
涅槃の夜一雫のみ音を立て
黄泉からの風に委ねて蛇苺
秋霖や神を肴に酒を汲み


〈社会的指向性〉社会的、時事的な語を軸に作句しているもの。




立ち上がるときの悲しき巨人かな
鶴二百三百五百戦争へ
稲田から暮れて八月十五日
暴力の直後の柿を喰いけり
冬めくや世界は行進して過ぎる



この国や鬱のかたちの耳飾り
五月雨のコインロッカーより鈍器
爆心地アイスクリーム点点と
塩水に余りし汗と放射能
敗戦日千年杉の夕焼けて
温暖な地球のつるべ落としかな
手に残る二十世紀の冷たさよ
木守柿不法投棄に取り巻かれ

蓮Ⅰ

薄明とセシウムを負い露草よ
桐一葉ここにもマイクロシーベルト
燃え残るプルトニウムと傘の骨
放射状の入り江に満ちしセシウムか
布団より放射性物質眺めおり
生きてあり津波のあとの斑雪
山鳩として濡れている放射能
原子炉の傍に反りだし淡竹の子
夏風や波の間に間の子供たち

蓮Ⅱ

ところてん西へ西へと膨れけり
天牛は防空壕を覚えていた
みな西を向き輝ける金魚の尾
寒き夜核分裂を繰り返し
諸葛菜活断層の上にかな
原発の湾に真向い卵飲む

蓮Ⅲ

日本を考えている凧
殺されて横たわりたる冷蔵庫


〈本歌取り?〉先人の作品を念頭に置いている、もしくは読者に別の先人の句を想起させうるもの。

木枯の何処まで行くも機関車なり
爆心地アイスクリーム点点と
頬打ちし寒風すでに沖にあり
永き日や獣の鬱を持ち帰り
皃の無き蟷螂にして深緑

「象徴性の高い語を使う、多義的なものを目指す」という方法、つまり大きな思想(宗教や社会的時事的事象)に拠る作り方は、同世代、同時代の読者の共感は得やすい(もちろん反発も得やすい)。個人的な体験より意味を共有しやすいし、より個人的な体験へおろしてきやすいからしたがって共感もしやすい。(だから、逆に自分の感じ方と違うという反発も生じやすい)。大きな思想は抽象性が高く受け取り方の個人差が大きくなる。たとえば「神」といっても日本的な八百万の神なのか西洋的中東的な一神教の神なのかでその一句の解釈は大きくかわってくるだろう。

曾根氏の作風はそのような先にある思想や作品に大きく寄りかかっているのだ。その作り方の問題は読者を選ぶということだろうと思う。スキキライ、主義の賛成反対、そういったことももちろんだが、それだけでなく、その句の意図するところの理解について読者を選ぶのではないか、という点だ。要はわかるわからない、というところ。

それが如実に出たのが本歌取り的な指向性というカテゴリーに括ることのできる作品群。そもそも日本の和歌の伝統の中にあって本歌取りは立派な技法である。それは、先人の作品がわかっているからこそ作ることができる、そしてそれを解釈することができる、という作者読者双方の了解があってこそ成立するというもの。修辞としてはパロディーの一つと考えることができよう。

たとえば〈木枯の何処まで行くも機関車なり〉、この句については山口誓子の〈海に出て木枯帰るところなし〉や〈夏草に汽罐車の車輪来て止る〉をすぐに思い出せる。これをただの翻案だというか、その先行句をも内包した表現と捉えるかは、曾根氏の句の自立力によるのだろうと思う。もし前者であるならばそれはただの俳句連想ゲームになってしまう。後者になるならば、もはや先行句など問題にならなくなるのではないか。その意味で先の句などは成功しているとはいいがたい。ただのオマージュに過ぎない。

一方、〈永き日や獣の鬱を持ち帰り〉は芝不器男の〈永き日のにはとり柵を越えにけり〉との対比にある。鳥と獣、穏やかさと鬱。対置されたときの面白さ、が作者の意図だとするならこれは成功した部類に入れてよいと思われる。

けれど、つねに自分の句が先行句のどれかと対置されて読まれ続けるのだとしたらそれは作者にとっていずれは不本意なものになるだろうという気もする。結局、自分の表現の半分を先人の句が担っているということになるからだ。本歌取りが珍重されたのは、自身の教養や知識を暗にも明にもアピールすることができたからで、そこから独り立ちした一首をものすことができたのはごくごく限られた歌人たちだけだったのではないだろうか。


私はこの句集を読者として読む分には楽しかった。常に裏にある思想、主張、とりわけ先人の句を想起させる一種のゲームとして楽しめたからだ。あの句この句、と私は自分の知識や記憶と勝負しながらこの句集のある部分を読んだわけで、それは言い換えれば江戸時代の談林俳諧と同じありかたということでもある。その意味で、栞にある対馬康子氏のいう「俳諧師」という語は実に的確に曾根氏の立ち位置を表したものだと思われる。ある種の謎解きが俳諧の面目であり、『花修』にはその面目がふんだんに取り入れられているからだ。


ところで。
面白いのは宗教的な語彙への指向が収まるとほぼ同時に社会的な指向が始まる。つまり、自分の中の大きなテーマ(足場?)が宗教的なものから社会的なものに移動したと思われるのだ。若かりし頃の壮大な思想は、自身の属する社会に汚染され吸収されて、自身もまたより現実的になっていく。そういう人生における年代の悲哀のようなものが見え隠れするようだ。

『花修』はつねに「第4回芝不器男俳句新人賞」とともに語られる句集になるだろう。セシウムやプルトニウムといったものを超えて、次に氏がなにを詠みたいと思うのか、大いに興味あるところだ。



わたなべじゅんこ選

我が死後も掛かりしままの冬帽子
元日の動かぬ水を眺めけり
霾るや墓の頭を見尽して
ねむる子ら眠りつづけて竜の玉
水吸うて水の上なる桜かな
身の内の水豊かなり初荷馬
家族より溢れだしたる青みどろ
鳥葬の傍らにあり蛇苺
雪解星ふっと目を開く胎児かな
薄氷地球の欠片として溶ける
乳母車止め置きたる桜の根
唐突に梅咲きはじむ二人かな
指先が水に触れたる目借時
原子まで遡りゆく立夏かな
椎若葉空を違えていたるかな
罵りの途中に巨峰置かれけり
七五三錫の匂いを纏いけり
山猫の留守に落葉の降りつづく
狐火のかすかに匂う体かな



【執筆者紹介】

  • わたなべじゅんこ(わたなべ・じゅんこ)

記載なし

【曾根毅『花修』を読む 39 】 凶暴とセシウム / 佐々木貴子



一、凶暴の男


正直に言うと私は句集鑑賞が苦手である。思い返すと子供の頃、読書感想文も苦手であった。読書は好きでも感想文は嫌い。それは読んだものから何も感受しなかったからではなく、感受したものを感想文にする時、何か「意義のようなもの」を求められる気がしたためであった。「これこれに感銘し、これこれがこの作家の素晴らしいところだ」とか「これこれに共感し、私もこれこれしようと決意した」とかまるで決まりのように、学校の感想文はこの手の結び文句で溢れていた。そのように明文化されない掟のようなものが、性に合わなかったのである。

俳句の鑑賞文は、読書感想文ほどには「世の中に肯定される意義」を求めていないだろう。しかしやはりどこか、その作家に社会的価値を付与し、称揚や鼓舞でもって評を終結させようといった暗黙の了解があるように思う。

 さて曾根という作家の昨今について、些かの驚きをもって見ている。震災を題材にした作品で賞を得た、という出自のためだろうか。これほど多くの作家によって評が書かれ、讃えられ、あるいは及ばぬ点を指摘され、次代への期待を担わされ、曾根という人は一体何者になってしまったのだろう。素晴らしい評文の数々。これらの評文を前に、今更私が書けることなど一つもないのではないか。もとより作家性への分析力など持ち合わせていない。他者の俳句を読むことは俳句をとおして己を見ることでもあるが、せいぜいこの鑑賞文をとおして自身の偏向をさらけ出す結果に終わるのではなかろうか。

この鑑賞を書くにあたりそのように悩みもしたが、しかしまあ俳句は一度発表したら読み手のもの、読み手の心に委ねられるものでもある。例え的外れであっても、様々なレスポンズが得られるのも俳句の良さであろう。その一点に救いを見出し、敢えて私という「偏向の窓」から見た景色を書いてみようと思う。

 私から見た曾根俳句は、鬱屈と凶暴の精神を抱えもっている。


春すでに百済観音垂れさがり


と好々爺のように穏やかな句が数多見られるにしても、私は次のような曾根作品に吸い寄せられる。

立ち上がるときの悲しき巨人かな 
暴力の直後の柿を喰いけり  
快楽以後紙のコップと死が残り  
佛より殺意の消えし木の芽風 
さくら狩り口の中まで暗くなり 
獣肉の折り重なりし暑さかな  
夕桜てのひらは血を隠しつつ  
永き日や獣の鬱を持ち帰り 
落椿肉の限りを尽くしたる  
威銃なりし煙を吐き尽し 
恋愛の手や赤雪を掻き回し 
欲望の塊として沈丁花


内面に沈潜した鬱屈。今にも暴発しそうな凶暴性を抱え、他者を顧みない男の像。それは欲深い魂の、叶えられない希望の反転としてある。私はこれら「強欲な魂の」曾根作品に惹かれてやまない。

五月雨や頭ひとつを持ち歩き

私が最も注目する曾根作品の一つである。激しくふりしきる雨の中、行き先をなくした無頭の影がうろうろと歩きまわる。手にもつのは己の首。無頭の人体が、あたたかい生首を手に灰色の雨を徘徊する様は、突破口の無い暗さを映し出す。

 この句に限らず、曾根作品には「頭」に関連した句がいくつか見られる。


霾るや墓の頭を見尽して 
朧夜の人の頭を数えけり 
曇天や遠泳の首一列に 
頭とは知らずに砕き冬の蝶

これらの句で「頭」はいずれも危うい状況、ないしは人格を失った状態におかれていないだろうか。「墓の頭」は灰色に立ちつくし、「朧夜の人の頭」は表情を映さず、物のように数えられる。「遠泳の首」は一列におかれ、まるでさらし首のようでもあり、あるいは今にも刎ねられそうな危うさにおかれているようにも見える。

「頭」とは身体を成す要素のうち最も生々しく、かつ人格を表す部分ではないだろうか。曾根作品における「頭」への執着はなんであるのか。「頭とは知らずに」砕いたその拳は、つぶれた蝶の破片にまみれているのか。

そして私という読み手は何故、これらの作品に惹かれるのか。そのことに解は無く、更には作家性への称揚や社会的価値の付与など、あり得ようはずもない。

 作品を読むとは不思議なことである。人間ならば優しく面白く軽妙な人が良い。付き合いやすく、好まれる。作品ならば、寒々とした痛みを映す北野武映画が魅力をもつように、曾根作品の突破口のない暗さや鬱屈は心の一角を強く握りしめるのである。


 曾根は期待される作家である。曾根の作品は社会的な価値を付与されつつある。曾根作品は悟りの境地をも得つつある。そのような曾根作品にしかし私は、ひっそりと囁きかけたい。

 悟るなよ。もっと暴力的に、絶望的にあれ。

曾根の鬱屈が書ききられた時、私にも曾根作品にも、何らかの答えがみつかるような気がするのである。


二、セシウムの日常

 震災を題材にした作品によって、曾根は芝不器男俳句新人賞を得た。それ以前にも彼は十分活躍していたのだが、それを契機に大きく取り上げられるようになったと言って過言ではないだろう。
かの震災には他にはない特徴がある。それは言うまでもなく、放射能という非可視の恐怖のことである。震災や放射能を取り上げた句に対し随分と批判が集まった時期があったが、今はさてどうなのだろうか。私自身はあくまで「ヘンな盛り上がり」の震災詠は好ましくないが、震災の経験を我がものとして詠んだ句は、特に非難すべきと思わない。その人の生活の途上にそれらがあったというだけであろう、また、震災は社会性を帯びた題材という以前に私たちの共通の経験であろうから、自然の心の流れとして詠みの対象にはなるのではないか、そのような単純な考えだ。とりわけ放射能に関しては、私の居住する青森がおかれた特殊の状況から、社会性というより日常に潜む恐怖として、その存在を捉えているところがある。

 あまり知られていないかもしれないが、青森には世界でも有数の原子力施設がある。核燃料サイクル計画、そのほとんど全ての過程が一県内で賄えるほど、様々の核工場がある。一時期は、高レベル放射性廃棄物の処分場としても候補に挙がっていた。原発、核燃料のリサイクル工場、そしてゴミ捨て場。全てが青森一県に担わせられ兼ねない状況にあった。東京と青森は遠い。青森で何か起こったら切り捨てれば良いと、国は都合よく考えているのではないか。それを狙っているのではないか。未知なる放射能のすべてを負わされ、いざとなったら見捨てられるのではないか。そのようにヒタヒタとした恐怖がいつも、青森県人の意識下に迫っていたように思う。

 もう十年も前だろうか。日本で一、二を争う貧困県で当時、原子力事業だけが勢いを保っていた。不況の影響下仕事は選べず、私も原子力推進側の事務所で仕事をしたことがある。その時六ヶ所村の工場を見学しに行った。工場は稼働しながら同時に建設工事中であった。下北の広大な地盤を見渡して、地中深くに埋まった土台と、土をえぐって鉄骨が刺さっていく様を見た。

 サイボーグ。一〇〇パーセントの生身が自然の肉体であり土が自然であるとするならば、地中深く、広範囲に工場が埋め込まれたこの地はもはやサイボーグという言葉がふさわしかった。その時に理解したのである。当地はもう元には戻らない。地中深く埋まった工場は除去できない。私の故郷の北端は機械の体になってしまった。

 震災前の一時期、高レベル廃棄物処分場の候補地選定にその名が浮上していた頃、原子力の恐怖は青森県人にとって常に身近であった。放射能の非可視的恐怖は、多くの県人がそれを見て見ぬふりしようと努めていたけれど、日常のなかに潜んでいた。

放射能の最も即効性ある被害、それは、「被害を想像させるという被害」である。放射能の限界を誰も知らない。終局的にどの程度の被害で終わるのか、誰も知らない。放射能を見ることはできない。「漏れたかもしれない」「私の体に付着しているかもしれない」「飲料水に入っているかもしれない」そして「恐ろしい、未知の悪影響を及ぼすかもしれない」そういう想像だけが広がっていく。
 
薄明とセシウムを負い露草よ 
布団より放射性物質眺めおり

曾根のこういった句は、放射能を絶えず意識する、あるいは、せずにはいられなかったかつての状況を想起させる。それは、私にとっては震災詠ではなくむしろ、原子力という要素が組み込まれた現代における私たちの、日常詠なのである。


【執筆者紹介】

  •  佐々木貴子(ささき・たかこ)

1979年青森県生れ、青森県在住。中村和弘主宰「陸」誌同人
高校3年より句作開始、2013年現代俳句協会より句集「ユリウス」刊行。
現在は青森県紙で発行するこども新聞にて月一回、俳句紹介記事を担当

2016年2月19日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 38 】   変遷の果てとこれから / 宇田川寛之



曾根くん(年下なので「くん」付けとする)と初めて会ったのはいつだったか。略歴にある平成十四年「花曜」入会よりも前のはずだ。彼は俳句などほとんど書いたことのない二十代の青年だった…と思う。本当は俳句に興味などなく、単に知り合いに誘われたから、何となく句会に来てみたのかもしれない。初対面の場所は出入り自由の青山の句会だったと記憶するが、彼が句集を出版するなど、そのときは想像だにしなかった。そして当時、彼がどんな句を発表していたか、まったく覚えていない。やがて、わたしはその句会から去り、彼も別の場を求めた。そんな彼が第一句集を出版した。

句集『花修』は編年体をとっているからか、最初と最後で明らかに作風が違う。十数年の間の熟成をおもう。


立ち上がるときの悲しき巨人かな 6

は、巻頭の作品。初学のころの作品である。ダイナミックな把握だが、言葉に依っている感が拭えない。定型という枠に力まかせに言葉を投げつけた印象が強い。それを若さと言うのかもしれないが…。

墓標より乾きはじめて夜の秋   9
何処までもつづく暗黒水中花  11
快楽以後紙のコップと死が残り 16

これらも同じくまだ若いころの作品だ。「墓標」「暗黒」「快楽」「死」、作者の葛藤、苛立ちが言葉となり、俳句となっている。この時期の作品は読んでいて時には息苦しさを覚える。

鈴木六林男の最晩年の弟子としての彼の活動は、遠く離れてしまっても時折耳に入ってきた。そして六林男の死、以後も彼は自らの信念をもって俳句の森深くを踏みこんできた。

読み進めると、ある時期の作品からは言葉の繫がりに緊迫感があるものの、肩の力が抜けたような印象になる。繰り返し読むと、中盤以降に付箋を貼る機会が増える。『花修』に収録作品のない平成二十一、二十二年の二年間の空白は、俳句形式に接近して格闘したからかもしれぬ。単純化と省略。そして作風の変化があらわれる。出張先の仙台で震災に遭遇したことが彼の俳句にどのような影響を及ぼしたかは分からないが、大きなうねりが生まれた。

水吸うて水の上なる桜かな     61
少女病み鳩の呪文のつづきおり   77 

般若とはふいに置かれし寒卵    85
 

春すでに百済観音垂れさがり   91

後半になるにつれ、季語の斡旋に強引さがなくなってくる。無季や有季という差異ではなく、もっと本質的な、俳句形式と対峙する覚悟のようなものを感じ、句に力強さが増していく。俳句の修辞を手に入れたのかもしれない。

金魚玉死んだものから捨てられて   100
曼珠沙華思惟の離れてゆくところ   114
水に棲むものの集まる日永かな   130
滝壺や都会の夜に埋もれて   144

ただし、一貫して写実などではなく、表現は具象よりも抽象に傾いている。時に作品が難解であることも恐れない。ある時期の作品からは重層性も加わった。知らぬ間に彼はわたしなどよりはるか深く俳句と向き合っていたのである。

棒のような噴水を見て一日老ゆ   110
日本を考えている凧   124
形ある物のはじめの月明り   149
祈りとは折れるに任せたる葦か   154

それぞれの作品の奥行きも見逃せない。また詩的な飛躍にも驚かされることしばしば。彼の作品は、疾走感というより、わたしを行きつ戻りつさせる力がある。一句一句に立ち止まらせる、まさに滞空時間のある俳句といえる。

帯文の「俳句のアクチュアリティ」なるものが何なのか、わたしには理解できていない。しかし、彼は彼なりの答えを見つけているに違いない。



引越しのたびに広がる砂丘かな 120



次なる引越し先はどこだろうか。



【執筆者紹介】


  • 宇田川寛之(うだがわ・ひろゆき)

1970年、東京都北区出身。1992年、「俳句空間」の〈新鋭作品欄〉に投句を始める。いくつかの同人誌を経て、現在無所属。共著『耀』(1993、弘栄堂書店)。



【曾根毅『花修』を読む 37 】   絶景の絶景 /  黒岩徳将




墓標より乾きはじめて夜の秋

夜に墓標にいるというのだからおどろおどろしいが、周りの空気は乾いている。
曲者なのは「より」で、作者の立ち位置は墓の前なのか、既に墓を去っているのかは明確でない。その代わり、空気のゆらぎのようなものが涼しさのなか際立っている。

読者がストンと腑に落ちさせてくれない、それが、私の「花修」を一読した感想であった。解が出ないことに、句が頭の中で回り続ける。しかし、ただ「謎」だとか、「ヘンな俳句」と言うならば自分でも作ることがあるし、曾根俳句を語ったことにはならないだろう。

玉虫や思想のふちを這いまわり 
暴力の直後の柿を喰いけり 
玉葱や出棺のごと輝いて 
憲法と並んでおりし蝸牛 
地球より硬くなりたき団子虫 
音のなき絶景であれ冬青草
断崖や批評のごとく雪が降り

ざっと通して読むだけでも、抽象的な熟語の多用が見受けられる、意図してやっているか、手癖かのどちらかである。特に「絶景」は俳句においては描写の努力から逃げている、という指摘が考えられる。写生によって立ち上がってくる質感がビビッドではない、とも言えるだろう。しかし、この指摘は掲句には適切ではないと筆者は考える。目指す方向性は描写ではなく、もっとつかみ所のない世界ではないか。

「思想」や「暴力」、「絶景」という言葉が俳句形式において提示されるとき、それらがもたらす効果は、「そもそも『思想』『暴力』『絶景』とは私たちにとってどういう存在なのだろう?」と読者に立ち止まらせるというものである。たとえ、小学生が欲しがった玩具を手に入れることができなかった腹いせに兄弟や両親を殴ってしまうという幼稚で些細な動機であったとしても、『暴力』と書くことで、柿と柿を包む掌が禍々しく見える。主体は『暴力』が存在していた、と現象をとらえてしまうことで、次の行動が変わるはずだ。このような俳句は、四番バッターだと思う。細かなテクニックではなく、われわれの生活における現象をもやっとした言葉で再構成する。そうして提示された句に、私たちはどう向き合えば良いのかが試されているし、曾根氏に聞くのは野暮である。

鰯雲大きく長く遊びおり

集中では、〈鶴二百三百五百戦争へ〉のような生死を訴えかけるもの、〈薄明とセシウムを負い露草よ〉マイナスイメージの単語の強調が、明るいものよりも目立った。その中で、掲句は「遊びおり」が一見穏やかで優しい時間を示しているようにも見えたのだが、名詞「遊び」の持つ意味の「ゆとり」「暇」といった、意味も混ざっているのではと思い当たった。必ずしも能天気な俳句とは言えないかもしれない。さっと読めそうで、食えない俳句である。

結論を出さないからこそ、何度も読み続ける必要がある句集となるのではないか。筆者と「花修」との対話はまだ上り坂の途中である。



【執筆者略歴】

  • 黒岩徳将(くろいわ・とくまさ)

1990年神戸市生まれ。「いつき組」「現代俳句協会青年部」所属。
第五・六回石田波郷新人賞奨励賞。

2016年2月12日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 36 】 虚の中にこそ  / キム・チャンヒ  

 

俳句は、五七五の韻律(と場合によっては季語)を使って読者の脳に真理を立ち上がらせる文芸。だとすれば、その真理は現実である必要は無い。

立ち上がるときの悲しき巨人かな  

巨人が何を意味しているのかは、正確には分からない。しかし、巨人で在るということ自体が悲しみなのではないか。謎かけをするように読者を真理へ誘う句からはじまる。

鶴二百三百五百戦争へ  

僕たちは鶴というものを誤解していたのかも知れない。この不気味さ。世界中で戦争はずっと続いていることを思い起こす。

地に落ちてより艶めける八重桜
初夏の海に身体を還しけり
獣肉の折り重なりし暑さかな  

写実の中に微かな誇張を与えられた句群は、新たなるリアルさをもって読者に訴えかけてくる。そんな虚と実の境を、作者は楽しんでいるかのように思える。  

しかし、2011年3月11日、あの震災が起こってしまう。

我が死後も掛かりしままの冬帽子
大寒の残骸として飼育室
霾るや墓の頭を見尽して 

「花」と「光」の章までは、この句集がなぜ編年体でなければならないかが、よく分からなかった。しかし震災を前に、詠まざるを得なかった句群に対し、それらを別の時間軸で再構成することなど、不可能なことだと気づいた。  
残された冬帽子も飼育室も墓も、震災とは言わずとも、一つの詩としてそこにある。

蠟のような耳に触れたる冬帽子
少女また羽蟻のように濡れており
萍や死者の耳から遠ざかり
棒のような噴水を見て一日老ゆ
原発の湾に真向い卵飲む  

それらは現実だろうか、それとも……。
震災後の句群は、執拗に現実を捉え、その先に詩を忍ばせる技が美しい。  
その詩の持つ真理を読み解くために、読者はまたページを開く。


【執筆者略歴】

  • キム・チャンヒ(きむ・ちゃんひ)

1968年生まれ、愛媛県出身
ハイクライフマガジン『100年俳句計画』編集長
「俳句対局」発案者



【曾根毅『花修』を読む 35 】 還元/換言 久留島元



曾根毅の俳句がもつ個性のひとつに「身体性」があるのは間違いない。


城戸朱理氏はそれを次のように評している。

 世界の諸相や諸事象と相対しながらも、ときに身体性に還元される言葉。それは、世界を血肉化するための方法であるとともに、自己という主体を世界に向けて投企することでもある。およそ私性に依拠することのない俳句において、これは、ひとつの、そしてめざましい方法と呼ぶべきだろう。

曾根さんの句集に表出する身体語彙として「口」「手」「頭」などがある。

 くちびるを花びらとする溺死かな
 さくら狩り口の中まで暗くなり
 夕ぐれの死人の口を濡らしけり
 朧夜の人の頭を数えけり
 霾るや墓の頭を見尽して
 夕桜てのひらは血を隠しつつ
 神官の手で朝顔を咲かせけり
 暗室や手のぬくもりを確かめて

特に「口」や「頭」に印象的な句が多い。

城戸氏の指摘するとおり、これらは外在する諸相を、身体性に「還元」することで成り立っている。
そのような曾根さんの特質が、東日本大震災にともなう福島第一原発事故、また放射能の拡散による被害という事態に対して、きわめて異質な俳句的成果をあげたことは、ある意味で当然だったかもしれない。

 薄明とセシウムを負い露草よ
 山鳩として濡れている放射能

圧倒的な事故の被害に相対するとき、特にこの東日本大震災や福島第一原発事故に対して、多くの人は安易な公憤義憤につなげてニュース記事の引き写しになったり、あるいは個人的な感傷や、慰霊、哀悼に同化し、大勢に没入してしまったりする句が多かったのではないか。

感傷や哀悼は、それはそれとして胸を打ち、ときに詠み手の心を癒やしもするのであろうが、読者としての私は、その没個性的な同一化にある種の抵抗を感じ、共感することができなかったのも、事実である。

そのなかで曾根さんは、危機的事態を個人の肉体的に「還元」することに成功している。

本来は目に見えず、情報、知識としてしか知りえない「放射能」が、「薄明の露草」や「濡れている山鳩」として、たいそう具体的に、質感をともなう視覚や触覚に「還元」されたとき、我々ははじめて事態を真に個人としてうけとめた「作者」に出会ったのである。

いま、城戸氏に倣って「還元」と述べたが、それは「換言」でもある。

知識、情報を、身体感覚に、形而上を形而下に。逆に、視覚を聴覚に、あるいは思念上の概念にずらし、換言する手法。それが、曾根俳句をもっとも際立たせている。

 この国や鬱のかたちの耳飾り
 玉虫や思想のふちを這いまわり
 万緑や行方不明の帽子たち

「この国」という漠然としたやっかいな概念を、「鬱のかたちの耳飾り」という妙に重々しく独特な質感を持った物体に呼応させた作者は、「思想」のふちを「這いまわ」る「玉虫」を見、生命力あふれる「万緑」のなかに「行方不明の帽子たち」を幻視する。

上五の「や」切れというきわめて俳句的な手法によって、作者は抽象と具象を自在に往還し置換してみせる。

一種の暗喩法といっていいのだろうか。現代詩の修辞法に明るいわけではないので不確かだが、独特な効果を生んでいることは間違いない。

 蛇の衣さながら行方知れずなり
 春すでに百済観音垂れさがり

喩の奇妙さが発揮された二句。「さながら」「すでに」から導かれるつながりが独特であり、そのくせ妙な実感をともなっている。

このあたり、曾根俳句がもつ奇妙さの真骨頂といえるだろう。


【執筆者紹介】

  • 久留島元(くるしま・はじめ)

1985年生まれ。「船団の会」会員、現代俳句協会所属。
共著『関西俳句なう』(本阿弥書店)など。

2016年2月5日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 34 】 ソリッドステートリレー  / 橋本 直



本書は、平成二十六年の第四回芝不器男俳句新人賞受賞の副賞として、昨年七月に上梓された。まずはそれを祝したい。

本句集を若手の登竜門たる本賞を受賞した新鋭俳人に注目する目線で読むなら、まず栞によせられた賞の選考委員達のことばを読むのも良いかもしれない。例えば曾根作品を語るにあたって、城戸朱理氏と齊藤愼爾氏がそろってシュルレアリストであるアンドレ・ブルトンを引き合いに出しているのはなかなか興味深いことだ(齊藤氏に至ってはこの俳人の表現者としての未来に踏み込んだアドバイス?も書いている)。また、大石悦子氏によれば、同賞は「震災以後を若い世代が俳句の場でいかに引き受けるかという点に、揺さぶりをかけようとする目論見」のもと、東日本大震災から三年後の平成二十六年三月十一日に選考会が行われたそうである。曾根作品はその点でも高く評価されている。ゆえに、帯文には「東日本大震災後の俳句のアクチュアリティをも問う瞠目の第一句集」と書いてある。曾根は関西の人だが、当時は千葉県柏市に住んでいて、偶然出張先でこの震災に被災し、避難生活を経験している。異様な実体験が起点となり作品に現れるアクチュアリティを己の表現の「私」性とすることは、鈴木六林男最晩年の弟子には相応しかろう。なるほど、例えば

  薄明とセシウムを負い露草よ

  桐一葉ここにもマイクロシーベルト

  燃え残るプルトニウムと傘の骨

  放射状の入り江に満ちしセシウムか

  布団より放射性物質眺めおり

  停電を免れている夏蜜柑

  原子炉の傍に反りだし淡竹の子


出来事の重さに比例してこのような句群が集中より前景化し、今後も否が応でもある時代のアクチュアルな場へ句集の読者を立たせようとするだろう。だが、句そのものは常にわれわれの前にありつづけるとしても、これら新しく開かれた表現は、震災の生な経験がゆるやかに忘却の彼方に去ろうとするベクトルの上にある以上、流動するコンテクストの中において古びていくのであり、立ち上がる読みは固定された普遍そのものにはなりえない。そして、何が「俳句のアクチュアリティ」を引き出すのかという問題は、本質的には震災云々とは無関係である。曾根の震災詠は、過去の重要な一点として今後なお読者を触発し続けると同時に、作者の手を離れ、どのようなテクストでありつづけられるのかを試されてゆくのだろう。その流れ続ける電流の位相においては、もはや曾根も読者の一人にすぎまい。もちろん再びそれからを引き受け、創造していくのは彼の仕事であるけれども。

さて、私的に好みの句を引く。


  初夏の海に身体を還しけり

  手に残る二十世紀の冷たさよ

  生きてあり津波のあとの斑雪

  山鳩として濡れている放射能

  雨が死に触れて八十八夜かな

  少女病み鳩の呪文のつづきおり

  化野に白詰草を教わりし

  曇天や遠泳の首一列に

  皃の無き蟷螂にして深緑

  断崖や批評のごとく雪が降り

  原発の湾に真向い卵飲む

  蝙蝠に了う一日を連れ帰る

  山猫の留守に落葉の降りつづく

  狐火のかすかに匂う体かな 
 
  
本句集は平成十四年から二十六年までの約三百句を「花」「光」「蓮」Ⅰ~Ⅲの五章に分け収めてある。それぞれその句が詠まれた時期に拠った俳誌「花曜」「光芒」「LOTUS」からとられている。つまり、ゆるやかな編年体の句集であり、通読すると、俳人の作句遍歴の来し方が味わえるようになっている。句集としては、むしろその方が読みどころということになるだろう。通読すると、折々の作家の思惟や世界への違和の手触りが感じられるが、私が引いた句は、それらが露骨に顕わになっているものより、一度言葉の底に沈んだ印象を受けるものが多かった気がする。なお、芝不器男賞の受賞作品は百句だが、受賞作は「蓮Ⅰ」と「蓮Ⅱ」に約半数ずつ入れてあるが、受賞作品からはさらに一割ほどが削られてある。厳選、と言っていいのではないか。  

付記・・・本稿は「現代俳句」2015年10月号に発表した拙稿を大幅に改稿したものである。

【執筆者紹介】

  • 橋本 直(はしもと・すなお)

1967年愛媛県生。「豈」同人、「鬼」会員。俳文学者。
Blog「Tedious Lecture」

【曾根毅『花修』を読む 33 】 現状と心との距離感 / 山下舞子




表情を変えてゆく草花の瞬間があちこちに見える、そこはかとなくあたたかい表紙。
「花修」という名の句集のイメージが表れていると思う。
一点から見つめられる景色の、広いこと広いこと……花修の俳句からそんな風に感じた。
近くて見えていてもわからないこと。
遠くて見えないからわかること。
後になったら見えること。
現実世界を捕まえた美しく儚い標本のようでした。


元日の動かぬ水を眺めけり

水すまし言葉を覚えはじめけり

牡丹や飼い慣らされし片頭痛

祈りとは折れるに任せたる葦か

水吸うて水の上なる桜かな


【執筆者紹介】

  • 山下舞子(やました・まいこ)

関西俳句会「ふらここ」