さき烏賊を誰か食ひをる暖房車 中西夕紀
どの顔も日当たりて似る枯野かな
(『俳句新空間No.1』 「新春帖」平成26年1月1日より)
前の掲句は、実感である。誰しも経験があるだろう。「暖房車」の斡旋が秀逸である。ちょっと迷惑で、少しばかり不快感がある。一方で空腹な自分自身を思い遣る作者でもあるのだ。題「敬虔」を逆表現していて諧謔の頃合いを得た句である。後の掲句は、これも季題の「枯野」がピッタリだ。日が当たって「どの顔も」ハレーションを起こしているのであろう。四季を通じて起こる現象ではあるが、筆者はそれを冬に固定した。乾燥した世界での現象に固定している。虚子の『五百句』を思い起こすが、全く別のものである。