2014年11月28日金曜日

登頂回望・号外編(その5) [小澤麻結]  /   網野月を 


ひらく手の雪は光となりにけり    小澤麻結

(『俳句新空間No.1』 「新春帖」平成26年1月1日より)

全体二十句の中では心象的な印象の一句。題「ひらく手」はこの一句に拠るものである。掌で受け止めた雪がキラキラと輝いて見えた、ということなのであろうか?
手の中で雪が光に化してしまったように、筆者には読めた。雪が融解し、気化し、光波となってゆくイメージだ。それらの状態の変化が一瞬に起って手の中から光線が拡散して行く景を想像した。「なりにけり」と落ち着いた文語表現が古典の世界(例えば『竹取物語』のような)を連想させる。

2014年11月21日金曜日

【『俳句新空間No.2』 平成二十六年[夏行帖]を読む】 第二夜 山の手線、廃線〜秦夕美〜  / 中山奈々



最後の議題です。動揺されている方も多いですね。みなさんの大半が、これを議題にする日がくるとは思ってもいなかったでしょう。私もです。しかしこの議題抜きにして、オリンピック成功はあり得ないのです。

そう。このトーキョーで三回目となるオリンピックおよびパラリンピック。これまでの二回は進歩を全面に押し出して来ました。交通しかり施設しかり。これはどこの国もそうですが。その反面、コスト面で大打撃です。投資だと笑っている場合ではありません。

確かに第一回目のトーキョーオリンピックでこの国は成長しました。しかしこれ以上の成長はむしろマイナスです。そこで逆転の発想といいますか、われわれは後進してみようと思ったわけです。
後進。そう、山の手線の廃止です。すでにトーキョーは毛細血管よりも行き届いたメトロの発達のおかげで、山の手線なしでも不自由はしないのです。


錦糸町涼しき音を放ちけり       秦夕美

スカイツリーと同じ墨田区にあり、押上駅からはたった一駅。しかし川の流れもひとの流れもなんとゆるやかなことか。天神橋、錦糸橋、松代橋。琴線、とまではいいませんが、あの場所独特の涼しい音。

東京メトロ半蔵門線。薄紫で描かれているあの路線です。


水無月の汐留駅は黄泉の駅

もうひとつ紫の路線があります。ワインレッド。ワインなんてお洒落なものを呑んでいるかわかりませんが、酔っ払いサラリーマンの地、新橋。そこに隣接する汐留駅は大江戸線。江戸。後進も後進。かつての名をつけるこの路線は山の手線よりも、東京23区を広く回るのです。少し歩けば、浜離宮。

新橋と浜離宮。まるでこの世とあの世の間のような。さらに、ゆりかもめに乗れば、お台場にも行けます。鎖国時代は外国船を追い払う砲台場でしたが、今やオリンピック会場として各国から選手、観客、観光客を迎えるのです。歴史の長さを感じます。

古都京都奈良に比べれば、トーキョーの歴史は浅く思えてしまいます。卑弥呼の墓とされる箸墓古墳を有していません。ましてや宇宙に繋がる糸魚川もありません。ならば何が出来るでしょうか。そうです。山の手線廃線です。これほどのインパクトあることがあるでしょうか。進歩しない。後進する。世界を驚かせることはこれしかないのです。

そこ、寝ないでください。われわれが今議論していることは、本当に重要なことなのです。だからいち早くここから抜け出ないといけないのです。

どうかここからわたしを出してください。


美しき嘘とはいへず吾亦紅




2014年11月14日金曜日

【(『俳句新空間No.2』 平成二十六年[夏行帖]を読む】  第一夜 ワルツは踊らない〜大本義幸〜  / 中山奈々



この街の話をしよう。出来るだけ君が飽きないように話すけれどね。どうかな。元来、話下手だしね。まあ聞いておくれよ。

街にはね、馬鹿でかいモニュメントがあるんだ。とある祭典のために作られたそれは、異形そのものだった。神々しくもあり危なっかしくもある。いつの時代も外れたものはあるのだけれど、それは特別外れていた。

高度経済成長期。そんな風にあの時代を呼ぶのかな。時代に乗るんじゃなくて、時代を作るんだってパワーがあちこちに満ちていた。パワーといっても、目に見えないことには仕方ないね。だから街を開発した。ベッドタウンに、医療施設、大学誘致、それであの異形のものを据えたのさ。

あれから何十年経ったかな。街は錆れた。いや錆れるようなものはなかったか。何もかも中途半端に進んでは、頓挫した。ただ医療施設だけは全国屈指の誇るべきものになったよ。

しかしね、その医療施設だって一部の限られた人だけさ。看てもらえるのは。大きなところで看てもらいたい、その、なんだ、われわれのような、少し金に恵まれないものは市民病院に行く。なあ、知ってるかい。市民病院をもじって「死人病院」なんていうのを。誰も表立って言わないけれど。あるんだよ、そういうものはさ。見ないように聞かないようにしているだけで。


あの陰影死者を運ぶエレベーター    大本義幸
病院で死ぬということ犬ふぐり

ここと隣街との間には川が流れていてね。ブルーシートが川に沿って綺麗に並ぶんだ。それが何か、君に分かるかい。


死体を隠すによい河口の町だね    大本義幸

隣街は県庁所在地だし、こっちは高度経済成長期の異形を遺す地だ。どちらの街も、少子高齢化を嘆き、子育てをしやすい街を目指している。大事なことさ。でもこの街に住む子どもに戻っていく老人たちはどう住めばいいのかな。知っていたら、教えておくれよ。

老犬がひく老人暮れてゆく          大本義幸


2014年11月7日金曜日

登頂回望・号外編(その4) [中西夕紀]  /   網野月を 


さき烏賊を誰か食ひをる暖房車   中西夕紀

どの顔も日当たりて似る枯野かな

(『俳句新空間No.1』 「新春帖」平成26年1月1日より)

 前の掲句は、実感である。誰しも経験があるだろう。「暖房車」の斡旋が秀逸である。ちょっと迷惑で、少しばかり不快感がある。一方で空腹な自分自身を思い遣る作者でもあるのだ。題「敬虔」を逆表現していて諧謔の頃合いを得た句である。後の掲句は、これも季題の「枯野」がピッタリだ。日が当たって「どの顔も」ハレーションを起こしているのであろう。四季を通じて起こる現象ではあるが、筆者はそれを冬に固定した。乾燥した世界での現象に固定している。虚子の『五百句』を思い起こすが、全く別のものである。