2016年12月30日金曜日

【俳句新空間No.3】真矢ひとみ作品評 / 大塚凱


  林檎植うこと穢土に子をもたぬこと
「植う」は連体形の「植うる」としたいところではあるが、林檎を植えることと子をもたないことの並列が抑制して書かれた作者の感情を伝える。それは淋しさ、切なさ、気楽さなどと言った単語では表せないいびつな塊であろう。「林檎植う」が繋ぐ原初からの生命のイメージだ。

  人に添ふ冥きところに雪降り積む
「人に添ふ冥きところ」とはどこであろうか。影法師か、ひょっとしたら、それはもっと内的な「冥きところ」かもしれない。雪は眼前のものすべてに降りかかる。人間の影にも、そして、こころの影にまでも等しく降り積もる。雪はその「冥さ」を弔うように、慰めるように清らかに白い光を放つのである。

  電波か魂か初空のきらきらす
初空はなぜきらめいているのか。「電波」と「魂」の交錯がそのきらめきであるのだ、と独断した作者の把握である。電波と魂、つまり物理の世界と精神の世界のものがひとつの空の下で飛び交っているというドライな空想が面白い。初空の明るさを分析的に想像する視点のユニークである。様々なきらめきを包み込む初空の大きさが見えてくる。

2016年12月23日金曜日

【俳句新空間No.3】堀本吟作品評 / 大塚凱


  蟻地獄臨月の身を乗り出すな
「蟻地獄」と「臨月」という言葉の衝突に惹かれた。他者の死を待つものと、他者の生を湛えるものとの対比が鮮やかだ。きっと蟻地獄を「覗く」程度の動作であろうが、「乗り出す」と大胆に表現したことで蟻地獄と人間のスケール比に不思議な狂いが生まれ、あたかも蟻地獄から人間を見上げているかのような視点すら感じられる。「乗り出す」という言葉の選択で既に句の面白さは十分に生まれているのだから、個人的には「乗り出すな」と述べてしまうよりも、臨月の身が蟻地獄に乗り出していると素直に描いた方がドライな詠みぶりで過不足ないと思うのだが、どうだろうか。

  堂々とででむし遅れ月は缺け
この句も「ででむし」と「月」のオーバーラップが面白い。「堂々と」「遅れ」ているという言葉の捻じれが巧みである。ででむしの存在感やある種の滑稽さも感じられるだろうか。缺けた月の動きがそのようなででむしのスピードと重ねあわされているかのようで、句に静謐さが満ちている。月もまた缺けながらも堂々たる光を放っているのであろう。作者の無聊なまなざしまでもが感じられる点に加え、珍しく夜のででむしが詠まれているという興もある。

2016年12月16日金曜日

【俳句新空間No.3】 大本義幸の句 / もてきまり


夕暮れがきて貧困を措いてゆく  大本義幸
「夕暮れ」の擬人化。「貧困」という観念の物質化に成功している。昼間は、人それぞれに生きるに忙しく、やれやれと一息つく夕暮れ時になるとなにやら佇まいの貧しさが気になるのである。あるいは人類の夕暮れ時、類としての貧困がどんと卓上に課題として措かれていく意にも取れる。時間的な遠近法といい、こうした句は作れそうでなかなか作れないものだ。他に〈ノンアルコールビールだねこの町〉日本中、どこへ行っても、やや安普請のノンアルコールビールふう町並が増えた。

2016年12月9日金曜日

【俳句新空間No.3】 神谷波の句 / もてきまり



久々に叩きをかける山眠る  神谷波
ここでは何に叩きをかけるのかが省略されていている事が面白い。最初布団に叩きをかけるのかなと思ったが、いや自分自身に喝をいれる意の顔に叩きをかけるかなとつぎつぎと想像してしまう。されど人が何をしようと「山眠る」。中七の「叩きをかける」の終止形と「山眠る」の二連続の「る」が句に強靭さを与えた。他句に〈初夢の鶴につつかれ覚めにけり〉そりゃあ、あなた、あの鶴の口ばしでつつかれたら起きてしまいますよ。しかし、その鶴は初夢の中のめでたき鶴で、良き目覚め。

2016年12月2日金曜日

【俳句新空間No.3】 網野月をの句 / もてきまり



火星人八手の花に隠れたり    網野月を

 この「火星人」という唐突さが面白かった。八手は葉が大きく日影好みの植生である。あの裏には火星人が手だけ隠せずに身を隠しているような気がして来た。そう、あのロボットの触針のような八手の花は火星人の手かもしれない。他に〈わたくしはMr.不器用日数える〉網野さんのおおらかさを想った。