2016年6月3日金曜日

【俳句新空間No.3】佐藤りえ作品評 / 大塚凱



 新年詠ではない、殺風景な冬の表情で統一された二十句作品であった。〈けもの道朽ちてもゐない木を踏んで〉〈総括せよ氷湖のあをいテーブルに〉などほのかな屈託を含んだ詠みぶりである。

  ひとしきり泣いて氷柱となるまで立つ

 感覚的な詠みぶりが魅力の作者である。「氷柱となるまで立つ」という言葉の力強さに惹かれた。涙は冷たく、それこそ氷柱のような鋭さで流れていたのだ。からだが冷え、悴み、やがて凍てるまで立ち尽くす情念である。ひとしきり泣いたあとの、その涙すら渇いた心そのものが立ち尽くしているかのようだ。心まで悴んだ人間が行き着く先の感覚である。

凍鶴を引き抜く誰も見てゐない
「凍鶴を引き抜く」。多分に感覚的な詠みぶりであるが、不思議な質量を伴った表現だ。それはおそらく、「引き抜く」という作者の想像が、凍鶴という「物体」の質感を伝えるからではないのか。作者はその頭の中で、確かに硬直した凍鶴を引き抜いたのである。しかし、そんな空想は「誰も見てゐない」。氷る野の広さに立つ、一羽の凍鶴とひとりの人間。一種の暴力性を孕んだ想像は、誰にも知られていないさびしさを湛えて、作者を貫くのである。きっと凍鶴の鋭さで、「わたし」を貫くのである。