2016年6月17日金曜日

【俳句新空間No.3】中西夕紀作品評 / 大塚凱


 一島を工場とせり百合鷗
例えば東京湾湾岸には、それぞれの用途に合わせて計画された埋立地が多く存在する。具体的な名称は存じ上げないが、一島まるごと工業用地として埋め立てられた島もあるだろう。百合鷗がいかにも舞っていそうである。鷗の白さと工場の色彩も、互いにオーバーラップするかのようだ。

  弟を前へ押し出し餅配り

 一読して、石川桂郎の〈入学の吾子人前に押し出だす〉がほのかに思われた。「入学の吾子」はこの「弟」よりも幼いであろうが、作者が作中の「弟」に抱く気持ちと通ずるものが感じられる。「餅配り」に際してどこか弟の顔見せをしているような気配すらある。少しはにかむようだがぎこちない表情をしているかもしれない。そんな弟を取り囲む生活の場の有り様が想像される。

  牛肉に記す牛の名雪催
「牛の名」といっても一頭ごとの名前ではない。つまり、「ブランド」である。松阪牛なら松阪牛、と牛の個体は「牛の名」のもとに一括りにされ、埋没する。個体名があるにしても、それは数文字列にすぎず、我々消費者の意識するところではない。そんな現代性を帯びたはかなさに、雪は降りかからんとしている。