2014年12月26日金曜日

登頂回望・号外編(その8) [岬 光世]  /   網野月を 


早春の海へ踏切渡りけり      岬 光世


(『俳句新空間No.1』 「新春帖」平成26年1月1日より)

 康成の『雪国』の書き出しのようである。二十句の世界へ誘われるように、題「心待ち」の世界へ入り込んでゆく。海岸線に沿って走るローカル線を想像した。そのローカル線の踏切を海側へ越えて行ったのであろうか。座五の「けり」が不思議な情緒を描いている。作者自身が主語であるとするのが常識的であろう。がこれから始まる物語の主人公の行動のようにも思えるのである。

「心待ち」【俳句新空間No.2】 2014(平成二十六)年[新春帖]所収

2014年12月19日金曜日

登頂回望・号外編(その7) [堀本 吟]  /   網野月を 



沖萌えて一点透視せば産土    堀本 吟



題は「や!・椿闇・産土」である。前五句は句中に切れ字「や」を配置するように考案されている。中五句は「椿闇」のヴァリエーションである。後六句は雛、その他であろうか?掲句はその最後に配されている。その三句前「碑に海光映える雛流し」とあるので、流された雛の流れ着くだろう沖を想定して詠んだように、筆者は解した。しかもその沖が雛にとっての産土なのである。こう考えると、この雛はヴィーナスのように海の泡から生まれ出たものなのかも知れない。誤読をお許し願いたい。


「や!・椿闇・産土」【俳句新空間No.2】 2014(平成二十六)年[新春帖]所収

2014年12月12日金曜日

【『俳句新空間No.2』 平成二十六年[夏行帖]を読む】 第三夜 ふいに奥山~もてきまり~  /中山奈々



ある朝のことだった。ゴミ捨てに行こうと玄関を開けたら、頭から血を流した奥山が立っていた。

彼は、二年前から壊れているインターホンに木魚のリズムで頭突きをかましていた。ドアを叩けばいいものを、、、と思いながら手当てをしてやる。

その家のひとを呼び出すときはインターホンを押す。そうインプットされれば、彼はそれを貫く。いや違う。他の手段を思いつかないのだ。よく言えば律儀。悪く言えば融通がきかない。そんな彼にはこの世は生きづらい。

りすとらや新宿路地を牛蛙     もてきまり

驚きはなかった。また上司や同僚と合わなかったのだろう。自主退職という名のリストラだ。一度インプットされたことを変えない彼だ。それを逆手に取られる。きみには他にいい仕事があるはずだ。そう言われれば、彼は信用する。そうやって何度仕事を変えたことか。その度にこの部屋にやって来て、さていい仕事とは何だろうか、と尋ねる。いい加減気づけよと思いつつ、さあ何だろうね、と一緒に考える。僕も彼と同じだ。

たそがるるもよし海月にさへなれる

しかし今日はいつも違っていた。彼はごそごそとリュックから布を取り出した。布というよりは帯。というよりは。不思議な形の。それをすっぽり被る。

あ、袈裟だ。緑色に赤の水玉。水玉には金で縁取りがしてある。袈裟だから和風なのだろうが、色合いはクリスマスだ。そして何度も草間彌生の顔が過る。その不可思議な袈裟を、奥山は〈ノーライフ、ノーミュージック〉とカタカタが描いたTシャツの上から着けているのだ。そしてにたりと笑う。さっき巻きつけてやった頭の包帯にもう血が滲んでいる。

あのね、もうね、考えなくてもいいんだよ。ぼくね、見つけたんだよ。本当に本当にいい仕事。ぼくのね。本当にいい仕事を。

そういいながら、またにたり。で、壁に頭突き。壁、ドン。ドンドンドンドンドンドン。すると隣の部屋からドンドンドンドンドンドン。上の部屋からもドンドンドンドンドンドン。下の部屋からもドンドンドンドンドンドン。街中ドンドンドンドンドンドン。

つねの世にトリックスターゐて卯波

ふいに奥山、袈裟つけて。

2014年12月5日金曜日

登頂回望・号外編(その6) [前北かおる]  /   網野月を 



総身を日に煙らせて眠る山     前北かおる

 「身延山」の題である。四句目の「湯宿」は下部温泉あたりであろうか?とすると「眠る山」はどの山を指示しているのであろう。山国の谷あいの身延から見える山形は決して切り立ったものではない。木々の多い山々である。その山々が眠るのであるから、冬とはいえ日の光りの多さを想像した。霧がかかって、その霧に日の光が乱反射して山を「煙らせて」いるのではないだろう。日の光そのものが、視覚を遮っているのだろう。句中に助詞を多用して文体を構成しているが、句意は幻想的情景を叙していて、将に「煙らせて」いるようだ。


「身延山」(『俳句新空間No.1』 2014(平成二十六)年1月1日発行