2016年1月29日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 32 】  二度目の日常 / 田島健一




 俳句を書く、ということに誠実であるために、我々は限りない自省と、そこに書くことができなかったことへの志向性を失ってはならない。したがって「作家性」と呼べるようなものがあるとすれば、それは作家が「何を書いたか」ではなく「何を書くことができなかったか」ということに焦点があてられるべきだろう。曾根毅句集『花修』は、この作者が言葉を通して世界にしるしをつけつつ、そのしるしのぼやけた外延を浮かび上がらせることで、自分自身の主体性に応えようと努力した時間の痕跡である。

 それゆえに、この句集は一読、読みにくい。この「読みにくさ」は、書かれた句が掴みそこねた欠落の堆積であり、作者が見ようと目を凝らした先にあるぼんやりとした真実である。そう、世界はぼんやりしている。あたかも極度に近視の者が眼鏡をはずして世界を見るように。言うまでもなく、それは俳句の「書き難さ」に起因しており、言わば俳句が俳句であろうとすることの証である。


 存在の時を余さず鶴帰る
 くちびるを花びらとする溺死かな 
 何処までもつづく暗黒水中花 
 玉虫や思想のふちを這いまわり 
 暴力の直後の柿を喰いけり 
 暗闇に差し掛かりたる金魚売

句集の前半の「花」「光」の章に散見されるこれらの句の「存在」「溺死」「暗黒」「思想」「暴力」「暗闇」という用語は、世界の詳細を描き出すには大ぶりで、一般的な俳句が要請してくる具象性を備えていない。逆に言えばこれらの言葉は黒々とした意味の中核を持っており、外部に近づくにしたがってその中心が発する意味のひかりが届かない抽象的な外延が広がっている。「写生」や「二物衝撃」といった、言葉の象徴性や関係性から句に余白を生み出す方法ではなく、言葉の意味の濃淡を利用した「ぼかし」によって、作者自身を起点とした世界の遠近を描き出す、単純だがユニークな手法をとっている。

 昨今のライトな味付けの作品群とくらべると、くどいほどに濃い味の作品だ。試しに、これらの用語を除いてみると「時を余さず鶴帰る」「くちびるを花びらとする」「直後の柿を喰いけり」などなかなかに抒情的でロマンチックな表現が残る。あたりさわりのない平穏な日常や、それをやさしく美しく装飾する表現のなかに異質でぼやけた言葉が置かれることで、世界はひとつの具体的な意味に収斂しない。言葉と言葉のあいだに埋め尽くすことのできない深い隙間が存在していることで、読み手に容易くイメージを結ばせない。これが、この『花修』という句集の「読みにくさ」はそこにある。
 物語に葛藤があるように、俳句には俳句なりの「読みにくさ」がある。この「読みにくさ」は作者による推敲の段階で丸められ均させ、あたりさわりのない表現に換骨奪胎されがちなのだが、本来、俳句で読まれるのはまさにこの「読みにくさ」なのだ。この収斂しない空間が読み手の深層に残され、その後の日々の生活でものの見方や感じ方に思いもかけず影響を与えるような書き方があるのだ。この句集の前半「花」と「光」の章がこのように書かれることによって、次の「蓮Ⅰ」を読むための基礎がかたちづけられる。


「蓮Ⅰ」の章では、句集の前半で示された世界の隙間は、さらに取り返しのつかない深いものとなっていく。

薄明とセシウムを負い露草よ 
桐一葉ここにもマイクロシーベルト 
燃え残るプルトニウムと傘の骨 
放射状の入り江に満ちしセシウムか

「蓮Ⅰ」に登場するこれらの句は、それぞれが俳句として昇華しきれていないように見える。あたかも失敗作のように。従来の俳句的な情緒や意味のきらめきに欠けている。季語のもつ生命力や、言葉のもつ広がりや奥行きすらどこかに置き忘れてしまっているようだ。しかし、それは俳句を構成された意味として見た場合の話である。言わば平凡な俳句への期待にすぎない。これらの句には、確かにあるのだ。決定的に欠落した闇が。「あの出来事」がもたらした、意味そのものを失った瞬間が。現実が俳句としての昇華を赦さず、情緒や意味のきらめきに還元できない絶望の淵が。
 ここで扱われる「セシウム」「マイクロシーベルト」「プルトニウム」という言葉は、言うまでもなく肉眼で捉えられるものではない。我々の経験や想像力の中にさえ一切のイメージをもたらさない。中核の意味すら持たない「闇」そのものだ。まるで鳥目で夜の闇を見るように、空間の一部がぽっかりと塞がれているのだ。

薄明と・・・・を負い露草よ 
桐一葉ここにも・・・・・・・・・ 
燃え残る・・・・・・と傘の骨 
放射状の入り江に満ちし・・・・か

これらの言葉の向こうには、それを引きうける主体がいない。読み手が寄り添うことのできる声がない。この作者の俳句の書き方が、従来の意味をつなげるだけではなく、言葉が元来もっている意味の「余白」を重ねることで、意味とは違う言葉の彩りを表現していることがわかる。そして、言うまでもなくそれこそがこの句集の「読みにくさ」が最も極まる瞬間なのだ。ここには我々俳句を作る人間が俳句表現について真摯に考えなければならないひとつの側面がある。それは俳句というこの短い詩形は、言葉をつなげて意味を語るだけでは十分ではなく、むしろそうした言葉の意味が完全に結ぶことのない、禍々しい現実を背負っているということだ。

 この黒く塗りつぶされた部分に当たり障りの無い言葉を置けば、それなりの俳句に構成することは難しいことではない。けれども、福島の原発事故により日本の一部に踏み入ることの困難な地域ができてしまったように、これらの句もまた触れることのできない深い闇を請け負っている。我々の日常を完結させることのない、いつも精神のどこかが暗く淀んでいるような欠落が存在している。ここでは、俳句と意味の欠落した言葉の関係が、日本と原発事故との関係に対してフラクタルな構造を成立させている。

 「蓮Ⅱ」「蓮Ⅲ」の章は、大きな欠落から世界が象徴性を取り戻してゆく再生の過程である。しかし、そこにはやはり何か失われたものがある。

 みな西を向き輝ける金魚の尾 
 人日の湖国に傘を忘れ来し 
 雪解星ふっと目を開く胎児かな 
 萍や死者の耳から遠ざかり 
 ところてん人語は毀れはじめけり 
 神官の手で朝顔を咲かせけり 
 人の手を温めており涅槃西風 
 祈りとは折れるに任せたる葦か 
 次の間に手負いの鶴の気配あり

相変わらず世界はどこか毀れつつあり、死も影もそこにあるけれど、それを「死」や「影」として相対化し主題化できるだけの象徴的枠組みは再構築されつつある。しかし、肝心なのは、そこで取り戻された日常は「二度目の」日常であるということだ。すでに「蓮Ⅰ」の時間を経験した私たちにとって、「以前」の時間といまここに取り戻された「日常」とを同一化することはできない。「西」「湖国」「胎児」「死者の耳」「人語」「祈り」などあらゆるものが、再び定義しなおされ、象徴世界は「象徴世界´(ダッシュ)」として我々の疑いのなかに沈んでいる。

この「二度目の日常」はかつての日常と同じものなのか、それとも我々の切実な視線をうばう「リビングデッド」なのか。我々が試されているのは、この「疑い」とどう関わるかであって、「信じること」をどのように取り戻していくかという問題である。本句集は「蓮Ⅰ」とその以前、以後という三つの時間軸によって、読み手と日常との間の信頼関係に起きた不思議な関係性を描き出している。特に後半の「蓮Ⅱ」「蓮Ⅲ」はここだけを切り出すとそれほど特異な作品には見えない。けれど三つの時間軸の最後に置かれることでその性質を明らかにする。俳句に意味があるとすれば、そこで明らかになるものこそが「意味」と呼ぶべきものなのだ。

俳句はたしかに世界を描き出すが、それは主題化された意味による「世界の取扱説明書」とは全く異なる。本書は五つの章が平成十四年から平成二十六年までの間に起きた出来事を踏まえつつ、ついに書き換えられるに至った世界の心理を描き出している。これが本来の俳句の「書き方」であると思うし、曾根毅句集『花修』はその「書き方」にどこまでも忠実な一冊だと思う。

ところで、「蓮Ⅱ」「蓮Ⅲ」の章に入る直前、欠落を極めた「蓮Ⅰ」の章は次の一句で締められている。

少女病み鳩の呪文のつづきおり

実にいい句だと思う。言われてみれば我々にも消し難い呪文が今もつづいている。


【執筆者紹介】

  • 田島健一(たじま・けんいち)

1973年東京生れ。「炎環」同人。「豆の木」「オルガン」に参加。
ブログ「たじま屋のブログ」: http://moon.ap.teacup.com/tajima/
WEBSITE「HAIKU BILLY」: http://kuchibue.org/
Twitter: @tajimaken

【曾根毅『花修』を読む 31 】  極めて個人的な曾根毅様へのメール  /  家藤正人




今年のまる裏俳句甲子園もお世話になりました。

早いもので昨年曾根さんが出場されてから1年、またお目にかかれて嬉しゅうございます。優勝は逃したものの会場の沸かせっぷりとしてはあの試合がベストバウトだったんじゃないかと。


さて、大阪での「俳都松山宣言2015大阪キャラバン」にて「書いて」と言われた句集『花修』の書評の件。

イキオイ「喜んで!」と返事したものの、書評なるものを書いたことがないワタクシ。メールの形をお借りして諸々書き綴ることでご容赦頂ければ幸いです。


気に入った句に付箋を付けながら再読していったんですが、自分が惹かれるものはどうも無季だったりすることが多いようです。


立ち上がるときの悲しき巨人かな 
快楽以後紙のコップと死が残り 
体温や濡れて真黒き砂となり 
少女病み鳩の呪文のつづきおり 
馬の目が濡れて灯りの向こうから


「つづきおり」の時間経過を含んだニュアンスとか特に最高ですね。行為に対する語りの必然といいますか。

世の中には季語がないなんて!という方もいらっしゃるとは思うんですが、個人的にはそれが詩としての力を発揮しているならいいジャナイと思うたちです。

そして句集を通読していくと俳人としてのバックボーンというか、底力が伝わってきます。その基盤がしっかりしてるからこそ、冒険的な言葉の組み立て方をしても詩の質がぶれない。


くちびるを花びらとする溺死かな 
暴力の直後の柿を喰いけり 
落椿肉の限りを尽くしたる 
凭れ合う鶏頭にして愛し合う


また、観察の行き届いた句が随所できらっと光ります。発想の大胆さや奇抜さだけに留まらない確かさがまた魅力。


堂に入る落花一片音もなし 
山の蟻路上の蟻と親しまず 
身の内の水豊かなり初荷馬 
竹筒をくぐり抜けたる春の水 
ゆく春や牛の涎の熱きこと 
乾電池崩れ落ちたる冬の川


改めて勉強になるといいますか、「句集」という数をまとめての作品になった時に何が重要かということ。

それはなによりも「作者という人物のオリジナリティ」が見えてくることなのではないか、と思わされました。

短詩であるからこそ、他の誰でもない自分らしさの確保が重要であり、『花修』は独特の暗さと軽快さでもってそれを達成しているように感じます。


以上、つらつらと綴って参りましたがこんな感じで大丈夫でしょうか。
月並みではありますが、今後も一層のご活躍期待しております。




追伸
ここで書くことでもないのですが、第14回まる裏俳句甲子園で登場したこの句、


昼更けて寒の椿を潜りけり


作者の名前こそ明かされなかったものの、この句の世界観は曾根さんじゃないかなあ~と睨んでいるんですがいかがでしょ。またなにかの折に答え合わせできれば幸いであります。




【執筆者紹介】

  • 家藤正人(いえふじ・まさと)

イベント司会者。松山市主催「俳都松山宣言」など担当。

2016年1月22日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 30 】 飲むしかない / 宮本佳世乃



今年の正月も箱根駅伝がテレビで放送された。画面のなかを走る学生たちはみな健気で、もちろん心身の限界まで頑張っていて、「挑む」という言葉がしっくりくると思ったものだ。そのなかに、襷をつなげなかった選手がズームアップされる。息を切らし、走り込んでゆく選手。あるいは意識が朦朧とする選手。お茶の間から感情が漏れる瞬間かもしれない。

もし、選手全員が顔を歪めたり息が上がる様子もなく、みんなが一列に笑顔で余裕綽々と走り抜けていたらどのような感情が沸くだろうか。



気が重い。
曾根毅の『花修』は、平成23年の東日本大震災、それに引き続く福島の原発事故を抜きにしては語れないと思うからだ。実に半分以上が震災に関する感情を述べ伝えてくる。まさに叙情、それに応えなくてはならない、それも道徳的に……といった、「第三者」がわたしに入り込んでくるのだ。

永き日のイエスが通る坂の町 
黄泉からの風に委ねて蛇苺
正確には、新年から開くにしては、気が重い句集なのだ。

それは、「セシウム」「プルトニウム」「マイクロシーベルト」といった、放射能関係の言葉が剥き出しになってそのまま「ある」ということもある。それから、「イエス」「十字架」「黄泉」「三界」などの言葉がそのまま「ある」句も散見されるからだ。あるいは、「鬱」。いや、まだそういった用語が絡んでいるほうが、読みやすいのかもしれない。


凭れ合う鶏頭にして愛し合う
スカートとポインセチアが無造作に
本句集の装丁と句群のように、愛と鬱は似ている。凭れ合うままに生きている。もしくは、開かれるままに。

ロゴスから零れ落ちたる柿の種 
音楽を離れときどき柿の種
柿の種の連作である。柿の種は、さよならは言わない。二句目が後にある。もちろん、そのほうがいい。

以前、週刊俳句第430号 では、震災以後、死に関する表現が「3人称の死」から「1.5人称の死(わたしとあなたの間の死)」に変化しており、さらにその死が自分に向かって「ある」ために俳句によって作者自身が照らされているのだ、といったことを書いた(つもりだ)。

繰り返しになるかもしれないが、死はその瞬間まで誰にも経験できない。同じように、危機的状況によってもたらされる事象は、一人ひとり異なるものであり、主観的であるがゆえ、他者には同じ経験はされることがない。

萍や死者の耳から遠ざかり

穴は空いたまま、埋まることはない。

もし、穴が埋まったと思うのなら、それは、違う盛り上がりができたからだ。

折れた柱は、修復できない。いくつかの柱に支えられて、天板のかたちに平衡を保って安寧があるとしたら、折れた柱以外が太くなるか、いくつかの柱の高さを合わせて平衡を保つしか方法はない。

原発の湾に真向い卵飲む

飲むしかない。何かに裂かれるほどに。息をするように飲むしかないのだ。



【執筆者紹介】

  • 宮本佳世乃(みやもと・かよの)

1974年東京生れ。2015年、「オルガン」を始動。「炎環」同人、「豆の木」参加。
句集『鳥飛ぶ仕組み』。

【曾根毅『花修』を読む 29 】 たよりにしながら  / 宮﨑莉々香




曇天や遠泳の首一列に

ドキッとする。遠泳の首に曇天を組み合わせるのが曾根毅という作家である気がするのだ。俳句はことばとことばの組み合わせの力によって成り立ち、その組み合わせ方は、自身が作家としてどのようにありたいかを決定する方法の一つであるよう思う。石田郷子ラインの作家なら、「遠泳の首一列に」と言うかどうか怪しいが、「曇天や」はつけないだろう。そうすると、曾根の代表句「薄明とセシウムを負い露草よ」で「負い」とことばを組み合わせた思いもわかるような気がする。事物を繊細に描写することはほとんどなく、故に大味なのだが時に大胆な句を生んでいる。

立ち上がるときの悲しき巨人かな

巨人が立ち上がるその景だけで十分通じる。鈴木六林男の「かなしきかな性病院の煙突(けむりだし)」も細かい描写はなく、煙突と言い切り、煙突から煙が細長く立ち昇る様子を想像させる。それがどことなくかなしい。性病院の煙突を見たことがなくてもかなしみの情緒を味わうことはできる。巨人を見る機会など、アニメか映画ぐらいでしかないが、想像の巨人がゆっくりと立ち上がる様子はわたしたちとは異なって見える。ゆっくりはどこか、かなしい。

曾根毅という作家を考えた時、前述した二点が繋がってくる。一つに大味だということ、二つ目に読者が想像することのできる虚構世界を描いているということである。また、その想像は肉体体験から仮託され、行われるものだと考える。曾根が巨人を見たことがあるわけでも、わたしたちが見たことがあるわけでもないが、わたしたちは巨人のゆっくりと立ち上がる様を考え、かなしいと思うことができる。なぜならそれは、立ち上がる行為には自身の肉体体験が含まれており、わたしたちは無意識に他者(巨人)に自身の立ち上がる体験を背負わせているからである。

薄明とセシウムを負い露草よ

もう一度この句を挙げる。突然セシウムという片仮名が目に飛び込んでくる。わたしも福島のドキュメンタリー番組の映像を見た記憶から想像して、この句を感じることができる。考えてみると句の中の「セシウム」はあまりにも直接的で、しかしセシウムが薄明と同列に扱われていなければ、普通の自然の光景に終わってしまう。セシウムは目には見えないが、「負い」と「薄明と」の効果によりその不安定で不透明な重みを感じることができるのだろう。

暴力の直後の柿を喰いけり

曾根の作品に使われる言葉には重みがあるものが多い。それは今までに挙げた句の中の「首」や「巨人」「セシウム」。この句の場合の「暴力」など。「喰いけり」まで一貫して荒ぶった文体で書かれている。


手に残る二十世紀の冷たさよ

また、セシウムのようにかたちのないものや抽象的概念を句の中に取り込もうともしている。「手に残る」の感覚や体験により、ぼんやりとしたものも感じることができる。

時に身体をたよりに、時にことばをたよりにして、世界をつくりあげようとする。それが句集『花修』の魅力であるだろう。


【執筆者紹介】

  • 宮﨑莉々香(みやざき・りりか)

1996年高知県生まれ。「円錐」「群青」「蝶」同人。

2016年1月15日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 28 】 終末の後に / 小林かんな



『花曜』の外にいた人間としては、曾根さんとの出会いは古い方だと思う。「北の句会」でご一緒したのは『花曜』の終刊以前だったはずだ。句会などで発表される俳句は折々目にしてきたが、句集を通読するとなると、その重量感は格別だ。

音のなき絶景であれ冬青草

冬の寒さの中、希望のように青みを帯びる草。地面をあまり離れないほどの丈の草と、開けた空間が思い浮かぶ。その明るさとうらはらに文明が滅んだ後のような虚無感が漂う。言葉を失うほど美しい光景が世界の終末にあってほしいという祈り、現れるはずだという思いだろうか。東日本大震災を直接詠った一連の作品と同じ章に置かれた句だから、「絶対的災厄の後」を想起するのは自然な読みだろう。しかし、そういう文脈から切り離しても、この句は静かな終末を思い起こさせるのだ。終末は起こりうるかもしれない事態というより、避けられない未来として描かれている。諦念と受容の冬青草である。

獅子舞の口より見ゆる砂丘かな 
ふと影を離れていたる鯉幟

 除魔招福の託される獅子舞に対しても、作者の視線はゆるまない。獅子の口の奥に砂丘を見る。獅子舞の動きにつれて、口中の砂丘も踊る。上部の砂はこぼれ、下方の砂は舞い上がる。舞う砂は打ち寄せる波のように繰り返し、いつか喧騒が消え、人々が消え、獅子そのものも消え去り、流砂だけが残るだろう。人間の営みを覆いつくし、やがて凌駕してしまう自然の勢いを見る作者の視野。この句より先に詠まれた「鯉幟」の句にも、ささやかな祝い事に潜むかもしれない危うさを見ているのだろうか。

引越しのたびに広がる砂丘かな

 そして、砂丘は日常になる。居を移しても移しても、砂丘を振り払うことはおろか、その広がりを止めることもできない。人は多かれ少なかれ、砂丘と背中合わせに生きているのかもしれない。日常を呑み込みかねない脅威でありながら、砂丘は豊かな美しさも秘めている。
大震災から時間を経て、「終末」に直面する句境からいったん落ち着き、ますます自在に遊ぶ作者の到達点は時に眩いばかりだ。

般若とはふいに置かれし寒卵 
時計屋に空蝉の留守つづきおり

『花修』のどの章にも、先師鈴木六林男の影響が読み取れる。硬質で重厚にして社会を詠むことを避けず、作者の若さを感じさせる手がかりはない。これほど大きな師に学んで、師の影を出ることの困難を思う。本人が一番その難しさを承知しているに違いない。私たちは期待とともにそのゆく道を注視せずにいられない。最後になるが、この老練に編まれた句集の中で、はからずも曾根さんの青春性がみずみずしく息づいているような一句を引いておく。

頬打ちし寒風すでに沖にあり


【執筆者紹介】

  • 小林かんな(こばやし・かんな)


【曾根毅『花修』を読む 27 】  贈られた花束 / 若狭昭宏



追突車十四五台や年の暮

「や」で切ることによって、ただ飲酒運転で事故をした、などという見方ではなく、ある一点を起点とした事象の「残る」ものや過去のものまで想像させることができるのである。

 12月31日、大晦日。「あの1月」に近づく感覚に背を押されながらこの記事を書いている。
 日本の1年には春夏秋冬+新年等の季感が存在するが、そこに生きていると、瞬間的に、また定期的に、時には強く蔓延する無季の乱暴な力が存在する。その存在を目の当たりにすると、俳人は豊かな季節感を体感できなくなるが、いてもたってもいられなくなって、無季感を形に残すことがある。それが戦争俳句であったり、震災俳句であったりする。

夕ぐれの死人の口を濡らしけり 
体温や濡れて真黒き砂となり 
馬の目が濡れて灯りの向こうから 
放射状の入り江に満ちしセシウムか 
快楽以後紙のコップと死が残り 
この国や鬱のかたちの耳飾り

「濡れる」「残る」「鬱」などの言葉が句集に散らばり、想像が方向づけられる。


 この句集を震災句集のカテゴリのみに分類してしまうのはいささか勿体無いことではある。が、これは紛れもなく東日本大震災の句集である。季節に並行して存在する震災の時間で編み上げられている。だから、季語が無い、季語があっても季感が無い、更には季語があってすら季感が無い、それでいても季節と結びつけられ完成している句集と言えよう。わざわざ分かりにくく書く事もないので、まとめると一般の時間軸とは別に震災を起点とする時間軸があり、一般の季感が無いなら無いで震災の起点に向かって想像力が働くのである。

猫の死が黄色点滅信号へ 
片頭痛トランペットの横たわり 
殺されて横たわりたる冷蔵庫 
布団より放射性物質眺めおり 
月明や昨日掘りたる穴の数 
形ある物のはじめの月明り 
塩水に余りし汗と放射能

 花修という世界に触れていくと、徐々に震災句として読み解きたいものと、そうでないものが出てくる。

引越しのたびに広がる砂丘かな

 仮設住宅へ入ることや、他県で支援を受けるための移住。また今後引越しの度に繰り返し感じるであろうざらついた心情が、実際に震災を経験していない者にもじわりと広がってくる。年度変わりに設定するなら季感は生まれるが、それでは住まいに砂丘までもが広がっているようには感じにくいだろう。

五月雨のコインロッカーより鈍器

 俳句の中に鈍器などという言葉はそう出てこない。一見猟奇的な何かかとさえ思わせるが、防災の視点から考えると地域の要所要所にバールやジャッキ、ハンマーなどを設置して、いざという時には自他を助けられるようにするのが望ましい。五月雨という水に関する季語によって、かろうじて震災と結びつけることができる。

停電を免れている夏蜜柑

 夜間の蜜柑山に拳一つ二つ分の夏蜜柑がポツポツと熟れている。月明かりに照らされているのか、その一つ一つが電球のように光をおびている。なるほどという見立てで詠まれた句だと思う。これも何故「夏」蜜柑なのかというところで、「春」に起こったことを想起させるだろう。

獣肉の折り重なりし暑さかな

 かなり前に、猛禽類が死肉を啄む景の句に衝撃を受けたことがあるが、この句にもそれに近いものを感じた。ただこれが災害や戦争による死と合わされた句であるとすると重すぎる。暑さという季語を引き立たせるための、むせ返るような獣の匂いであるというように解釈したい。

 曾根毅という人は、関西で聞くと「実力がありつつも、中々世間に評価されてこなかった。しかし、必ず花開くだろう」と言われ続けていた人だ。そして、花開き、続く後輩たちに惜しみなくエールを送ってくれる人である。季感というテーマは常に俳人の課題である。花修にも、震災を感じない、一般的な四季を感じる句はあるが、ここまで無季俳句が多い句集はそう多くない。「有季定型文語文の、俳句らしい俳句に、若々しい感性を乗せて」闘ってきた「俳句甲子園世代」と呼ばれる若手俳人達は、どのようにこの句集を味わうのだろう。是非一度この花修を読み、仲間たちとあれでもないこれでもないと議論を楽しんでほしい。


【執筆者紹介】

  • 若狭昭宏(わかさ・あきひろ)

1985年広島生まれ。「狩」所属。俳句甲子園OBOG会副会長。mhmまつやま俳句でまちづくりの会代表。双星句会運営。共著「関西俳句なう」「WHAT」


2016年1月8日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 26 】 「花修」雑感 / 杉山 久子



 次の間に手負いの鶴の気配あり

熱さと冷たさを同時に感じさせつつ緊張感を湛えた一句。選び抜かれた言葉がこれ以上ないバランスのもとに配されていて、ひどく美しい。

 句集全体を覆う不穏な気配、緊張感は、存在のよるべなさ、自分と自分を取り巻く世界の確かさと不確かさに否応なく気づかされる。それは震災を経て一層深い思いとなって言語化されはじめたのではないか。

 明日になく今日ありしもの寒卵 
 頬打ちし寒風すでに沖にあり 
 我が死後も掛かりしままの冬帽子 
夕ぐれのバスに残りし春の泥

そんな中、一通りではない感情を諧謔でもってさらりと詠んだ句に心なごみもする。

夜の秋人生ゲーム畳まれて 
秋風や一筆書きの牛の顔 
水風呂に父漂える麦の秋 
夏料理とぐろを巻いていたるかな 
秋深し納まる墓を異にして

 こんな暑苦しい「夏料理」の句は初めて見た。墓の句は、震災関連の句の中に置かれているので、一緒に墓に入るはずだった家族が離れ離れのままになってしまった悲しみを詠んだものかもしれないが、一句独立して読むと、私はむしろ安らぎを感じる。

 原子まで遡りゆく立夏かな 
 形ある物のはじめの月明り 
 台風の目より輝き子供たち

 恐怖や痛みを抱えながら、原初のエネルギーを取り戻そうと希求する姿を見る。
 
生と死の間にあるそのせめぎ合いを普遍的な思念にまで昇華させようとする試みが感じられる装幀も美しいこの一集を、これから幾度となく開くことになるだろう。

獅子舞の口より見ゆる砂丘かな


【執筆者紹介】

  • 杉山久子(すぎやま・ひさこ)


【曾根毅『花修』を読む 25 】 「対立の魅力」 / 野住朋可



 『花修』には人間がほとんど登場しない。作者はいつも一人で、その自由さを楽しんでいるようだ。

羽衣の松に別れを習いけり 
化野に白詰草を教わりし 
虫干や時折人を離れたる

 松や化野から習い、人から離れる。人間という枠にとらわれず、あらゆる動植物や物質、果ては原子サイズのものとも平等な位置に立って、それらを見据えようとしているのだ。その目は鋭く正確で、そして時にはとても面白い風景を切り取る。私が特に心ひかれたのは、以下のような句だ。いずれも、穏やかな雰囲気の中に可笑しみが仕込まれている。

永き日のイエスが通る坂の町 
春昼や甲冑の肘見当たらず 
次の間に手負いの鶴の気配あり 
鰯雲大きく長く遊びおり

 教えを説きながら坂の町をほのぼの進んで行くキリストに、「おーい、甲冑の肘、何処へやったっけ」なんて声が聞こえてきそうな春昼。さらには隣の部屋には負傷の鶴(きっと機織りの天才)の気配。物語や人物像がどこかユーモラスで、くすっとしてしまう。まさに人間の枠を超えて、彼は「大きく長く」遊んでいるのだろう。
 その一方で、彼はおそらく人間の最も重大なテーマの一つである死に対して、人一倍敏感である。

墓標より乾きはじめて夜の秋 
我が死後も掛かりしままの冬帽子 
春近く仏と眠りいたるかな

 墓や死というダイレクトな言葉は句集のいたるところにちりばめられている。そのほかセシウムやマイクロシーベルトといった語句も、死のイメージとして登場するものなのかもしれない。そして死は、神や仏といった観念的なものを引き連れてくる。

 『花修』には、作者の人間の枠を超えて自由に世界と対峙するという一面とどうしようもなく死にとらわれ続けるという一面の、はてしない対立がある。その対立こそが、この句集最大の魅力ではないだろうか。


【執筆者紹介】

  • 野住朋可(のずみ・ともか)

関西俳句会「ふらここ」会員。

2016年1月1日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 24 】 続〈真の「写生」〉 /  五島高資



 曾根毅氏の『花修』評については、すでに「週刊俳句」において〈真の「写生」〉と題して書かせて頂いた。そこでは、真の「写生」とは、あくまで日常的な体験に裏打ちされながらも、単なる「写実」が陥りがちな些末描写や観念的な寄物陳思とは異なる物我一如という深い詩境において生命や宇宙の神秘に根ざしたものでなくてはならないと指摘した。そして、そうした真の「写生」を感得するものとして以下の句を取り上げた。


  春の水まだ息を止めておりにけり
  桃の花までの逆立ち歩きかな
  さくら狩り口の中まで暗くなり
  初夏の海に身体を還しけり
  時計屋に空蟬の留守つづきおり


 今回、これらの句については割愛するが、この度、再度、『花修』を再び読み直す機会を得て、前回触れることができなかった秀句について感想を申し述べたい。


  爆心地アイスクリーム点点と 


 長崎での被爆二世である私としては、どうしても浦上の爆心地公園を思い出す。もちろん、掲句では、溶けて地に落ちたアイスクリームの痕跡を詠んだものだと思うが、それはまた被爆者の焼け爛れて熔け落ちた身体の一部のみならず無念の思いも重なる。アイスクリームが自由に食べられる現代の平和と原爆の惨劇とが対照的に彷彿とされて、そこに単なる写実を超えた詩境が感じられる。


  草いきれ鍵をなくした少年に


 かつて私も鬼怒川の河川敷で車と自宅の鍵をなくして難儀したことがある。一時間くらい捜索してようやく見つかったから良かったものの、探しているときの不安は尋常ではなかったのを思い出した。もっとも、掲句は、そうした事実性のみならず、少年が大人社会へと参入するための「鍵」が想起される。しかし、殺伐とした大人の社会への漠然とした危惧が「草いきれ」に暗示されている様な気もする。


  水吸うて水の上なる桜かな


 樹木において根から吸収した水分を上部へ運ぶのは維管束の導管と言われているが、そのメカニズムの詳細はよく分かっていない。満月の引力が関係するものもあるようだが、いずれにしてもその不思議の上に桜が咲いていると思えば、改めて天然造化の妙を思い知らされる。掲句は、そうした不思議を湛然と捉える作者の感性の鋭さが表れている。


  竹の秋地中に鏡眠りおり


 周知のように「竹の秋」とは、地中の筍に養分を与えるために竹の葉が黄ばむことに由来する。植物にも世代間の思いやりがあるような気がして不思議である。「子は親の鏡」というが、やがて筍もまた成長して親竹となれば、同じように次の筍を育てるのだろう。もちろん、掲句における鏡はそれそのものとして地中に埋蔵されていても良い。いずれにしてもそれは真澄鏡として「情の誠」を照らし出すのである。


  醒めてすぐ葦の長さを確かめる


 パスカルの「人間は考える葦である」を思い出すが、そうすると睡眠中、つまり思考停止している時、人間は単なる葦そのものということになってしまう。掲句では、眠りから覚めて自我を取り戻す刹那がうまく捉えられている。もっとも、このことは睡眠後の覚醒時だけではない。新しい自己成長への気づきは至る所に存在するはずである。それを確かめる作者の透徹した炯眼が感じられる。


  我と鉄反れる角度を異にして


 そもそも人間の血球の主成分はヘモグロビンであり、生命にとって鉄がとても重要な働きをしている。一方、現代におけるインフラや工業製品においても鉄はその根幹を支える素材として不可欠のものである。つまり、生体も社会も鉄によって支えられていると言っても過言ではない。もっとも、それらにおける鉄は、その分子構造において異なっていることは言うまでもない。鉄化合物や金属鉄との違いは、分子レベルで見ると、その原子価角の差異による。もちろん、そうした「物の微」はさてしも「我」と「鉄」の共鳴に感得される「情の誠」も相俟って深い詩精神が立ち現れている。

                           
【執筆者紹介】

  • 五島高資(ごとう・たかとし)


 【曾根毅『花修』を読む 23 】 永久らしさ / 佐藤文香



  いつまでも牛乳瓶や秋の風

 そこに白い液体が入っているあいだは、液体の白を透かすそれも含めて牛乳と呼ばれていたのだが、私が液体の方を飲み終えると、それは牛乳全体のうちの一部ではなく牛乳瓶として独立し、返却してリサイクルなどされない限り、つまりはここにある限り、いつまでも牛乳瓶と呼ばれ牛乳瓶であり続ける。

 秋風がゆくとき、瓶には口があるので、それに触れてゆく。すでに疲労したガラスに少し入り込みがちな牛乳の動物的な匂いがあるとすれば、風はそれを巻き込んでゆくだろう。


  水吸うて水の上なる桜かな

 桜の花を単に桜と呼ぶとき、まだ枝のなかの維管束が花弁に対して機能している状態を思う。花びらや花といわれるとーーそれはある種俳句的な表現というだけであるかもしれないがーーたとえば夜空の星に対する星型のモニュメントのような、花という印象にまみれたものように感じるから、この句で「花」でなく「桜」なのは、まだ今から水に生かされたり殺されたりする可能性のあるものを描いた、ということではあるまいか。

 古木の枝が湖の水面を這うように伸び、花の一部が水に浸かり、しかし水の上に咲き続ける花、花はだから桜。


  凍蝶の眠りのなかの硬さかな


 冬まで生きている蝶の、眠りというのだから死ではない、生きてどこかに留まり凍える様子である。その眠りのなかに硬さがあるという。眠り全体が硬いのではなく、どこかに硬さがある。
 眠りとは、眠っている蝶の心の置きどころだとして、そもそも眠る蝶に心があるのか、という問いは立てないことにして、ならば蝶は、夢を見る。

 思うに凍蝶が見る夢とは、凍蝶の過去に由来するものだ。この蝶は、卵から生まれ青虫になり、脱皮を繰り返し蛹になり、羽化して蝶のからだつきを得、夏を経て仲間は死に、冬を迎えた。その一生で出会った硬さの思い出、要は橘の葉であるとか、アスファルトの道であるとかが、蝶の夢の内の一部を占める。それが「眠りのなかの硬さ」であると思う。

 しかしそんな具体的な何かではなくただ「眠りのなかの硬さ」なのだ、とも思う。

  初鏡一本の松深くあり
  神官の手で朝顔を咲かせけり
  能面は落葉にまみれ易きかな


 曾根毅の作品は水墨画のようだ。永久に存在し続けるのが自然であるかのような顔をしている。よって、過去も未来も変わらないだろう素材が選ばれたときに、生きる、残るものが生まれる。


【執筆者紹介】

  • 佐藤文香(さとう・あやか)

1985年兵庫県生まれ。池田澄子に師事。「里」「鏡」「クプラス」に参加。句集『海藻標本』『君に目があり見開かれ』、詩集『新しい音楽をおしえて』、共著『新撰21』。3月に『俳句を遊べ!』(小学館)刊行予定。