2015年11月27日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 14】 推敲というプロセス  中村安伸




薄明とセシウムを負い露草よ

この句は曾根毅句集『花修』の帯の背表紙部分に印刷されており、この句集のなかでもとくに強くその存在をアピールしている句である。作者にとっても自信作なのであろう。

しかし、私にとってはこの句は失敗作である。そして、俳句を完成させるのが読者の役割であるという考えに基づけば、失敗の責任の半分は読者である私にある。

私には「セシウム」という語をうまく扱うことができない。より正確に言うと、この句の文脈にあらわれる「セシウム」という語を、処理する方法がわからないということである。


「セシウム」という語がどういうものか考えてみると、元素として厳密に定義された語であり、科学的な文脈において誤解の余地はない。一方、日常的な、あるいは文学的な用語としてとらえた場合、非常に取り扱い困難なものとなる。2015年の日本において「セシウム」といえば、2011年3月の福島での原発事故により、大気中に放出されたさまざまな物質のうちのひとつを指している。

東日本の各地に撒かれたその物質と、その物質が放つ放射線を我々人間は五感によって感知することができない。また、それらがどのような影響を人体に与えるのかは、個別的であり、正確なところは誰も知りえない。

我々にとって不可知の物質でありながら、自身や家族の健康に直接影響することが予想されるもの、そして、その発端となった災害について、あるいは今後同様の被害をもたらす可能性のある原子力というものについて風発しているさまざまな議論に直結するもの。

この語は、少なくとも私にとっては、全体像を把握するにはあまりにも巨大で流動的であると映る。あるいは巨大なのではなく、俯瞰が難しいほど近いということなのかもしれない。


俳句作品に用いられている語をどのように受け取るか、読者ごとに差異があるのは当然である。俳句作品の最終的な仕上げを行なうのが読者であるとするなら、ひとつの俳句作品が、読者ごとにすこしづつ異なったものに仕上がっていくということも、俳句の面白さであると言える。しかし、この「セシウム」という語については、読者による受容のされ方にあまりにも大きな差があるのではないだろうか。

事故以降の放射性物質の脅威を身近に感じている人と、そうでない人では全く異なるであろうし、前者においても、事態を直視しているか、現実逃避しているかなど、態度の違いによってこの語の受け取り方は異なってくるだろう。

もちろん、この句の「失敗」の責任の残り半分は、このような扱いの困難な語を無造作に(と言っては言い過ぎかもしれないが)用いた作者にある。困難な題材は扱わないという態度に比べれば、こうした素材を積極的に取り扱った勇気は賞賛に値するとも言えるが、その危険性に見合った注意や工夫が十分に払われたとは言えないと感じる。

さて『花修』を読み、印象に残った点のひとつとして、新興俳句やその流れを汲む俳句からの影響が色濃く感じられるという点がある。

特徴的な語彙や語と語の組み合わせ方という点において、山口誓子、西東三鬼、河原枇杷男、といった人々の句を彷彿とさせる作品が散見されるのである。

おそらく曾根氏は熱心な読者として、これらの作者の作品に触れていたのだと思われる。そして、それらのなかから俳句の型を身につけ、また語彙を取り入れていったのであろう。

そのためなのだろうか、この句集における曾根氏の文体は、堅牢で、安定感がある。この文体と、彼自身のやや頽廃的ともいえる感性がうまく融合して生み出された作品には、凄みのある美を現出させているものがあって、たとえば

永き日や獣の鬱を持ち帰り 
落椿肉の限りを尽くしたる

といった作品は非常に魅力的である。
一方で、繊細な仕上げを要する作品に意外な粗さもみられる。たとえば

水吸うて水の上なる桜かな

という句は「水」のリフレインによる音楽性は素晴らしいものの「上なる」という表現はうまく働いていない気がする。

骨格のしっかりした文体をもちながら、いまひとつ洗練されない部分が残り、大きな可能性を感じさせつつも、読者としてカタルシスを得るところまで突き抜けてこない。それがこの句集の作品の多くに対して私が持っているざっくりとした印象である。

句を洗練させる、すなわち読者に良い仕上げをしてもらうために必要なのが、推敲というプロセスである。推敲とは、作者が自作に対し読者としての目をもって臨むことである。

作品の洗練度の不足が自作への客観的な批評の欠如によるとするならば、「セシウム」に代表される危険な用語を、やや軽はずみに取り扱ってしまうことも、根本原因を同じくするのかもしれない。

人々に多大な影響を与えつつ、激しく変容し、立場によって多様な受け止められ方をする生々しい言葉を、必要な配慮をしながら表現に用いていくということを、今後の私自身の問題としても考えていきたいと思った。
そのためには従来の文体を変容させることや、発表の形式を変化させることも検討しなければならない。また、作品が俳句という形式であるべきかどうかという地点にまで遡って考える必要もあるかもしれない。

『花修』は私自身のものでもある課題について考えるきっかけになったという点でも、私にとって重要な句集となった。



【執筆者紹介】

  • 中村安伸(なかむら・やすのぶ)

1971年、奈良県生まれ。
2010年、第三回芝不器男俳句新人賞対馬康子奨励賞受賞。
共著に『無敵の俳句生活』(ナナ・コーポレートコミュニケーション)
『新撰21』(邑書林)

【曾根毅『花修』を読む 13】  震災詠は苦手だった   大池莉奈




第18回俳句甲子園大阪大会が、曾根氏と言葉を交わした最初のときであった。
審査員である曾根氏は、OGスタッフであるわたしにも気さくに話しかけてくださった。さらに大会直後に、担当した行司(司会進行)業務等のことを褒めていただいた。なんて優しい方だろうとわたしは感銘を受けた。その曾根氏から直接いただいた『花修』である。句集名や氏の人柄を象徴するかのように、装丁には、花や草木が囲む道が描かれていて、どのような俳句に触れられるのか楽しみであった。

しかし、わたしはページを捲ってすぐに衝撃を受けることとなった。

この句集は、第4回芝不器男俳句新人賞受賞の副賞として上梓された。東日本大震災について真っ向から読んだことが最も注視されたといっても過言ではないだろう。

震災詠、つまり震災を詠んだ俳句は、ときにそれだけで心が揺さぶられる。曾根毅氏一個人の作品である前に、震災の詠んだ文芸作品であることがどうしても目立ってしまう。神戸の阪神淡路大震災や新潟中越地震、最近では各地で火山噴火も起きている。もちろん地震だけではない。かつて、日本は戦争を経験した。広島や長崎には原爆が落とされ、沖縄では日本で唯一地上戦が行われた。また、東京を始め各地で大空襲が起きた。詠むだけでおのずと力をもってしまう地域事情は確かにある。そのような句を感情に流されず、また背景を一旦置いておいて、俳句として正面から向き合うことがどれだけできているか。自戒を大いに込めて、警笛を鳴らしたい。

しかし句集の冒頭には、曾根氏の本質を垣間見られるような、俳句が並ぶ。

永き日のイエスが通る坂の町  
滝おちてこの世のものとなりにけり 
冬めくや世界は行進して過ぎる 
快楽以後紙のコップと死が残り
曾根氏はものごとを「常識」に沿って真っすぐは見ようとはしない。普段見慣れているものでも新たな一面があるのではないかと探す。いつもと同じ坂道も、今日はイエス・キリストが通ったことがあるかのように感じる。滝は落ちて初めて姿を現す。クリスマスやお正月と浮き立つ初冬は目まぐるしく過ぎていく。まるで世界が行進しているかのように。「快楽」の後に残るものが、死だけならまだ美しいのに、紙コップとなると妙に生々しく、日常と切り離すことができない。
日常句などと安易な言い方は実に失礼であった。そもそも日常句とは何かと真意を問われているような気にもなる。


阿の吽の口を見ている終戦日 
敗戦日千年杉の夕焼けて
同じことが起きた日であっても季語によって意味は異なる。

前者は疲れ果てて呆然とする人々の姿をありありと描き、後者は荒地に一本だけ残った千年杉を前に、やっと終わった戦争に安堵する。

曾根氏は戦後生まれであるが、どちらもまるでその現場にいたかのようにリアリティがある。季語の力を確認するかのような二句。ぜひ季語研究の教材にしたい。

さらに、

くちびるを花びらとする溺死かな 
墓標より乾きはじめて夜の秋 
冬銀河本日解剖調査拒否 
憲法と並んでおりし蝸牛
「溺死」「墓標」「解剖」「憲法」。印象的でアンダーグラウンドな言葉を果敢に使っておきながら、曾根氏の句はどこか寂しげである。

そして件の震災詠である。
塩水に余りし汗と放射能 
放射状の入り江に満ちしセシウムか 
原子炉の傍に反りだし淡竹の子
直接的なのはこれまで挙げてきた句と変わらない。しかし使われている語は、震災以後やっとメディアで使われ始めた専門用語である。

草いきれ鍵をなくした少年に
「塩水に余りし汗と放射能」の3句後にあるこの句、少年がなくしたのは鍵だけか。「少年に」で終わる余韻から、鍵以外になにか大きなものをなくしたのではないかと読者は想像力を働かせる。

桐一葉ここにもマイクロシーベルト
曾根氏は出張先の仙台で震災に揉まれた被災者である。

震災直後は、資源的にも体力的にも精神的にも、俳句どころではなかったことは容易に想像できる。しかし、それでも氏は詠んだのだ。未曾有だとか非現実的だとか、被災地以外が悲観的になって「自粛モード」に陥っているときに、この日常の中に起きた非日常を忘れはしないよと俳句作品にした。「桐一葉」の句は、桐という、見上げて探さなくてはいけない小高い木の葉が、落ちてゆく様にこの葉にも放射線が飛んでいるのか、と気づく。なんて力強い句なのか。震災詠とひとまとめに区別するのは、実に愚直であった。



【執筆者紹介】

  • 大池莉奈(おおいけ・りな)


1995年生まれ。別俳号:柚子子(ゆずこ)。関西俳句会「ふらここ」所属。現在、立命館大学文学部2回生。




2015年11月20日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 12】 花は笑う  / 丑丸敬史



曾根毅は筆者が所属する同人誌LOTUSの若手のホープであり、その縁もあり今回筆を執らせていただく機会を得た(ちなみに筆者の方が遅れて入会)。

今回は、曾根の「怪作」を採上げる。

 春すでに百済観音垂れさがり

句集一の怪作である。鑑賞者は「観音」ときて、「垂れさがり」とくれば、観音様の纏うお召し物を想起する。それを観音自体が垂れ下がり、と来た。この諧謔が楽しい。更に言えば、「春すでに」の措辞は、早春ではなく、仲春、もしくは晩春を感じる。枝垂梅、枝垂桜、枝垂桃、春を彩る枝垂何々はたくさんあろうが、やはり、何と言っても枝垂桜だろう。つまり、「百済観音垂れさがり」と言った瞬間、枝垂桜がダブルイメージとして脳裏に浮かぶ。勿論、これは作者も計算済みである。

しかし、観音が垂れさがりと言った際のイメージが春爛漫の好ましいイメージというよりは、腐った魚の肉がぶら下がっているようなおぞましいイメージを想起させる。また、人間になぞらえてみると、肉が垂れ下がった広島・長崎の被爆者の写真をイメージしてしまう力強さがある。「垂れ下がる」という言葉自身が美しい言葉ではなく、元来マイナスイメージを喚起する言葉であることに由来しよう。この句は、プラスとマイナスのイメージの双方を同時に少ない言葉で想起させるという仕掛けを持っている。

観音様と言えば慈悲、慈悲と言えば観音様というくらいだ。民間信仰として絶大な人気を誇る仏教界のトップスターである。その観音様が慈悲の御手を差し伸べながら、自身が垂れ下がっているというシュールさ。というよりは、救済者自身がずり落ちそうになっている。これではとても御手を摑めたとしても一緒に落ちてゆきそうだ。

そして「百済観音」という固有名詞をもってきたところにこの俳句の更なる手柄がある。百済観音は左手を「垂らして」水瓶を優雅に持つ。この手の形から変奏されてできた俳句かもしれないと思わせる。作られた経緯はともかく、この俳句が奏でているシュールな風景に滑稽さを感じさせるのは、この俳句の手柄である。<物干しに美しき知事垂れてをり>の攝津幸彦の俳句を想起させる。この攝津句もシュールであり滑稽であるが、攝津幸彦は、加藤郁乎が創始した(?)ナンセンス俳句の名手であり、本句も明瞭な像を結ばない、結ばせないところに滑稽を目指している。一方、曾根は正当な諧謔俳句の後継者である(笑)。

 しばらくは仏に近き葱の花

葱の花に仏性をみた。葱の花の別名が「葱坊主」と種明かしをしてしまうと、理に落ちてしまう句にも見えようが、もしこの句の結縁がそこにあったとしても(多分ないと思うのであるが)、葱坊主を上にいただく葱(これは、細々とした奴葱などではなく、立派な白葱でなくてはならない)の立ち姿に仏性を見た曾根の眼力は鋭く、正しい。

実家のある群馬は葱の産地であり、高級葱の下仁田葱もある。実家の家庭菜園では下仁田葱こそ育てていないが、立派な白葱が常に生えている。葱の花は小さい頃からの良く見ていたが、愛嬌のあるその面白い形が印象的である。葱の花にはそのような諧謔味がある。それを踏まえて、仏を見るところが俳句である。

今回は曾根毅諧謔味のある怪作を鑑賞した。俳諧味がある俳句にこそ、曾根毅の力量を確かに認めることができる。曾根が今後どのように大化けしてゆくのか、今後の更なる怪作を待望する。


【執筆者略歴】

  • 丑丸敬史(うしまる・たかし)

「LOTUS」同人、「豈」同人。句集『BALSE』


















【曾根毅『花修』を読む 11】 水のように  / 藤田亜未



曾根氏とは、堺谷真人氏の送別会で出会った。

そこから俳句談義をするようになり、句会でも一緒になることが増えた。

芝不器男俳句新人賞に応募する時、応募締め切りのぎりぎりまで粘って句を練ったという話も聞いた。こつこつと努力する人という印象を受けた。

春の水まだ息止めておりにけり

生き物がまだ動き出さずに息を止めているのを、作者も息をのんで待ってるのかもしれない。
東日本大震災の被害を受けた水の中の命が動き出していないのを案じて祈っているように感じる。

永き日のイエスが通る坂の町

だいぶ日が長くなってきた。ゴルゴダの丘へ行く坂道を上るイエスのようにゆっくり
ゆっくり上っていく。イエスはこの坂を上るときどのような気持ちだったのだろうか。
刑を執行される前のイエスの気持ち。今作者も重い十字架を背負って歩いている。
日本中が地震や災害の後の復興という重いものを背負っているのだ。

この国や鬱のかたちの耳飾り

日本は今耳飾りのように不安定に揺れている。大きな揺れではないけれど、いつも不安を抱えて過ごしている。鬱という漢字はごてごてして複雑な漢字だ。
その漢字を使ったことで複雑なもののいろいろ詰まった日本を憂いているようにも見える。

滝おちてこの世のものとなりにけり

滝というとスピリチュアルなイメージ。どこか神秘的な滝が勢いよく落ちてきて初めてこの世のものと実感できる。それが実感できるのが滝が落ちた水音やしぶき。
滝に魂があるとするなら、それを感じる瞬間が滝が落ちてきたとき。生の激しさをも
感じる句。

ところで、作者には水に関連した俳句が多いように思う。

塩水に余りし汗と放射能 
水吸うて水の上なる桜かな 
水すまし言葉を覚えはじめけり 
水風呂に父漂える麦の秋

水というのは、地球上の生命が生きるのには欠かせないもの。震災に遭ってからはより一層その思いが増したのではないだろうか。水がつく言葉を多く使うことで作者は、今を生きているという実感が欲しかったのかもしれない。

春の川を流れる水のように、俳句の才能と情熱がゆっくり、でもしっかりと溢れ出している作者にエ-ルを送りたい。


【執筆者紹介】


  • 藤田亜未(ふじた・あみ)

「船団の会」所属。句集「海鳴り」創風社出版。共著に「関西俳句なう」本阿弥書店






2015年11月13日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 10】 『花修』立体花伝 ―21世紀の運歩―  /男波弘志



曾根さんとの出会いは、数年前の現代俳句協会の吟行、そのときは五十人近くが集っていたであろうか。句会の席上、沢山の句の中から私の駄句を拾って下さった方が三人おられた。曾根毅、杉浦圭祐、彌榮浩樹、句会が終わった後、私はこの三人に「家で句会をしませんか」と持ちかけた。一瞬で事は決した。現在私は、「啐啄(そったく)童子(どうじ)」句会の代表として断続的に句会を行っている。啐啄同時は、雛鶏が卵の殻の内側を、母鶏が卵の殻の外側を、互いにつつき、それを破ること、「同時」を「童子」に変えたのは、永遠に尽きることのない創作の修練を戯画的に顕したまでである。

今回の曾根毅の偉業を、私は勝手に「啐啄童子(そったくどうじ)」句会の中から出現したものと、やや独善的に考えているのだが、それには確かな根拠がある。句会発足当時の曾根の句は、観念を即物に映像化することを、殊更意識してはいなかったと思うのだが、昨今は抽象を具象へ、具象を抽象へ自在に行き来し、メンバー一同が舌を巻くほどの作句力を発揮しておられる。この句会では一句一句を俎上にあげ、徹底的につつきまわす、四、五人の句会で五時間以上かかるのだから、その凄まじさが想像されるであろう。誰一人声高にものを言う者はいない、皆一点を凝視し、一言、一言、本質を語り、人のことばをしずかに聴いている。議論など噴飯ものである、ここにあるのは確かな対話だけである。根源のない議論が得意な人は、一刹那もこの場にいることは出来ぬ、勇気のある方は是非、句座に連なってほしい。わけても曾根の沈黙はある美的な律動をもって、一空間を厳粛に彩っている。聞くべきことは聞く、唾棄すべきは唾棄する。唾棄といっても、曾根の唾棄は執拗である。唾棄すべきその理由が腑に落ちるまで自問自答をくり返す。それが納得できなければ、家に居ても、道を歩いていても思惟、しつづけているであろう。

句会でいつも取捨を悩まされるのは社会性俳句である。

薄明とセシウムを負い露草よ 
桐一葉ここにもマイクロシーベルト 
原発の湾に真向い卵飲む

これらの問題に対して、作者はどれだけの拘りがあるのか、又今後どれ程の拘りをもって対処していくのか、そのことを知らずして、問はずして、易々と採るわけにはいかぬ、と言うのが私の率直な考え方である。普遍性をもった根源俳句には政治的な問題は、当然無化されなければならぬ、政治的に啀み合っている国同士が、芸術、文芸に於いては華々しく交流をつづけている例はいくらでもあるのである。原発の問題は顕かに政治の問題である、であるならば原発を詩歌に変容させることは、政治の問題を真向から抱え込む覚悟がある。その意志表明と受けとられても仕方がないのである。私はこのことを曾根に問うたことがないのだが、今は、どこまでも自己の問題として長考しつづけている。しかし、

原発の湾に真向い卵飲む

の、この一句だけは、奇跡的に政治問題が詩的情操に無化され、呑み込まれている。政治などという、狭量な人為操作は、常に詩歌の、文芸の器の中に呑み込まれ、宙空を散華する鳥に変容するという、詩人の、芸術の理想を高々と謳歌して見事である。誰もが華麗なる賛辞を送るであろう場に、やや苦言めいたことを申し上げたが、これは身辺にいる、本当の意味での親友にしか、書くことのできぬ、直の、生身の心栄えとして受けとめていただきたいのである。

畢りに御句集『花修』の中で永劫に生きつづけるであろう。名句、秀句を挙げておく。曾根さん本当におめでとう。

春の水まだ息止めておりにけり 
十方に無私の鰯を供えけり 
夕桜てのひらは血を隠しつつ 
水吸うて水の上なる桜かな 
ふと影を離れていたる鯉幟 
白桃や聡きところは触れずおく 
徐に椿の殖ゆる手術台 
葱刻むところどころの薄明り


【執筆者紹介】

  • 男波弘志(おなみ・ひろし)

北澤瑞史 創刊 俳誌「季」元会員
岡井省二 創刊 俳誌 「槐」元同人
永田耕衣 創刊 俳誌「琴座」マンの会 元会員
現在 俳誌「海程」「里」会員

【曾根毅『花修』を読む 9】 つぶやき、あるいは囁き   /  安岡麻佑



この句集を読み終えたとき私の心の中には余韻のように静かな言葉だけが残った。曾根毅『花修』に収められた言葉たちからは大袈裟な感傷やエゴイズムなどは感じられない。そこには無駄な言葉はない。あるのは、ただ何気なくつぶやかれた言葉だ。しかし、そこには驚くほどの奥行きと饒舌な沈黙がある。彼の句を鑑賞していると突如一人、広い広い無辺の世界に、しかし、その言葉とともに放り出され一人と一句として見つめ合い、そのものの在り方だけを見据えることになる。
 
かたまりし造花のあたり春の闇 
葉桜に繋がっている喉仏

それぞれ無機質な造花に艶めかしく生暖かい春の闇がこごっているという不思議とも不気味と言える存在感、葉桜と喉仏の同化あるいは反発ともとれる両者の動きを感じさせる句である。読者はそれぞれの花の魅力に直線的に引き込まれる。

また、「花修」を私が秀逸と感じ入ったのは特に以下に挙げる句で一般的には不快ともとれるような表現で詠むことでむしろ混沌とした季節への複雑な愛情を感じ取ることができる点にある。

獣肉の折り重なりし暑さかな 
家族より溢れだしたる青みどろ

写生か空想かというところで別れる二句ではあるが、「暑さ」「青みどろ」という一種の不快の感じられる季語であるにもかかわらず、嫌悪や不快というよりも読者である私はこの詩句に魅入り、生命の営為というものの醜さと崇高さに心を打たれるのだ。

五月雨や頭ひとつを持ち歩き 
夏風や波の間に間の子供たち 
髪濡らしつつ遠火事を見ておりぬ 
木枯に従っている手や足ら 
或る夜は骨に躓き夏の蝶

そして面白いことに「花修」の中では肉体や生命、魂を美しく囁くとともに、それらを客体として自分から切り離し突き放すような言葉も見られるのであった。先ほどとは打って変わってまるで他人事のように「人間」である自分やその他の事物を淡々と見据える視線。この葛藤はどんな人の心の中にもあるのではないだろうか。

繋ぎ止められたるものや初明り

「私」はいったいどこに繋ぎ止められているのか、それとも何を繋ぎ止めているのだろうか。あそこにある光は誰のものなのだろうか。『花修』は現代社会を生きている私たちにとって最も遠くて最も近い疑問をささやくように問いかけてくるのだ。



【執筆者紹介】


  • 安岡 麻佑(やすおか・まゆ)

 関西俳句会「ふらここ」所属

2015年11月6日金曜日

【曾根毅『花修』を読む 8 】 セシウムに、露草 /  天野慶




曾根毅さんに初めてお会いしたのは、「現代川柳ヒストリア+川柳フリマ」の会場で。
5月に行われた小池正博さん主宰のイベントでした。

私と小池さんの「川柳をどう配信するか」という対談を、にこにこと
聞いてくださっている男性がいらっしゃるなあ、と思っていたら、その方が曾根さんでした。
ご挨拶をしたときに「もうすぐ、本が出るんです」と仰って。

ほほう、と楽しみにしていたらしばらくして美しい一冊が届きました。


普段、作品を読むとき(1)作品、そのあとに(2)作者、という順番で出会うことが
ほとんどです。結社誌で、ネットで、本で。印刷物は「マス」コミュニケーションですから、
ひとりしかいない人間よりも圧倒的な確率で「先に」出逢うことになります。
本人と会うより先に、作品を読む場合、作者が女性か男性か、
年齢は、職業は、「作中主体」とどれほど重なっているのか。
推理しながら読む楽しみ。プロフィールだって、詳しく書いていなければ
犯人、…ではなく本人に出逢うまで、その答えは分かりません。
そのままズバリ!だったり、想像とまったく違ったり。


そして、曾根さんと、『花修』。
先に出会ったのはめずらしくもご本人。
ミステリで言うならば、先に犯人が分かっている倒錯もの。
「刑事コロンボ」や「警部補・古畑任三郎」のようなものですね。


くちびるを花びらとする溺死かな

滝おちてこの世のものとなりにけり

羽衣の松に別れを習いけり

雪解星同じ火を見て別れけり

消えるため梯子を立てる寒の土

薄氷地球の欠片として溶ける


一読して、付箋を貼ったのはこんな句。

対象を見つめる目線が穏やかで、そうそう、確かに曾根さんはこんな目をされていた、と思いだしました。

対象に迫って句にするのではなく、ちょうどよい距離を探りながら、
相手が不快にならない、絶妙な距離で17音に切り取る。
そして、


塩水に余りし汗と放射能

薄明とセシウムを負い露草よ

燃え残るプルトニウムと傘の骨




福島第一原子力発電所の事故を扱った作品。
私は、やはりこの事件については、俳句でも短歌でも、作品にするべきだと思っています。
それぞれの立場も違って、どんな切り取り方をするのか。難しい題材です。
「フクイチ」ののちの世の中を扱った自作をいくつか、


見慣れない単位が身近な単位へと変わってしまった世界を生きる


ナウシカのようなマスクね、そうだね、とほほ笑みあって早める歩み


タイベックス着用義務の草原で摘んだ四つ葉を挟む小説




作品として成立させるときの、現実と、創作の距離感。

体験をそのまま書くことは、詩ではないと思う。それでは実録になってしまう。
現実の密度、そしてそこに何を添えるのか。

悩みながら、探りながら作ったことを覚えています。

曾根さんは、セシウムに露草を添えました。

昔から詩や短歌や俳句に美しく詠われてきた露草に。

現代は、露草に恋人の涙でも真珠の珠でもなく、セシウムが並ぶ世界なのだと、静かに差しだしてきます。

傘の骨は、もっと直接的。傘の布が、原子炉の水が、なくなった後の姿。

もう、役に立たない。そして取り返しがつかないのだということ。

その差しだし方は「本を出すんです!読んでください!」とぐいぐい寄ってくるのではなく、
「もうすぐ、本が出るんです」とそっと告げてきた犯人、ではなく本人の
たたずまいと、「放射能」「プルトニウム」という現実を作品にする距離の取り方が
ゆっくりと重なって。




春すでに百済観音垂れさがり




「倒錯ミステリ」のように読み始めた一冊を閉じたときに、
最後に心に残ったのは、やはりこの一句でした。

「すでに」以外の言葉だったら成立しない、百済観音と曾根さんの立ち位置が完璧な、この一句。



【執筆者紹介】

  • 天野慶(あまの・けい)

1979年生まれ。歌人。「短歌人会」同人。
最新刊は『はじめての百人一首ブック』(幻冬舎)。









【曾根毅『花修』を読む 7 】 眩暈 / 藤井あかり




句集を開くとまず、寂しそうな巨人が現れる。

立ち上がるときの悲しき巨人かな

立ち上がる瞬間、巨人は巨人たることをいっそう意識し、孤独を深める。

五月雨のコインロッカーより鈍器

 取り出したら誰かを殴り殺してしまいそうな鈍い光、冷え、湿り、重み。

近づいて更なるしじま杜若
辿り着くと、この辺りの静寂はかきつばたが放つ静けさだった。


手に残る二十世紀の冷たさよ
二十世紀にやってきたこと、もしくはやらなかったことを思い起こすとき、かじかむような罪悪感が滲む。

我が死後も掛かりしままの冬帽子
寒々と死後に思いを馳せているうちに、自身よりもラックに掛けられた帽子の方が存在感を持ち始めてしまった。

白桃や聡きところは触れずおく
白桃には、軽く触れただけでも崩れそうな部分がある。そこに触れかけて止めた自分と、触れてほしくない白桃との間に、かすかな緊張が走る。


春すでに百済観音垂れさがり
百済観音の立ち姿と、春の駘蕩とした気分が相まって、「垂れさがり」という弛緩した言葉が漏れた。

壮年を松葉の影と思いけり
針のごとき松葉の影を見つめながら、血気に逸りそうな自分を感じている。

罵りの途中に巨峰置かれけり
罵る最中、ふいに巨峰の皿が置かれた。罵りは中断してもよいし、巨峰を摘まみつつ、あるいは巨峰を無視して続けられてもよい。ただそれだけの存在。

能面は落葉にまみれ易きかな
わずかな角度の違いにより、様々な変化を示す能面。その表情を捉えようとするが、落葉に埋もれてしまうかのように捉えどころがない。


『花修』から十句引いた。
この句集を読んだときの感じが何かに似ている気がして、よく考えてみると、それは乗り物酔いなのかも知れなかった。乗り物酔いは揺れや加速、更には視覚や心理的なものにも影響されるという。車窓に流れる景色を眺めているうちに胸騒ぎを覚え、冷や汗が滲み、目まいがしてくる。ふらつきながら降り立った後も、体の軸を取り戻すまでには時間が掛かる。それでもまた車窓にもたれて景色を眺めたいと思う。『花修』は私にとってそういう句集だった。



【執筆者紹介】


  • 藤井あかり(ふじい・あかり)

1980年生まれ。「椋」会員。句集『封緘』。