2015年1月30日金曜日

登頂回望・号外編(その13) [羽村美和子]  /   網野月を 


枚方の叔母飼いたがる都鳥       羽村美和子

 枚方の土地柄を筆者は残念ながら知らない。都会なのか田舎なのか?その地の叔母が鳥を飼いたいと言っている。不思議な句である。都鳥は果たして人が飼えるものかどうか筆者は知らないが、都鳥(=ユリカモメと筆者は解した)のイメージがこの句の決め手である。古くから歌謡や和歌に詠み込まれているイメージであろう。叔母についての詳細は句からは判明しないが、何やらいろいろと物語を勝手に作って読んでしまう。「飼いたがる」の意思表示が、単に掲句を叙景に終わらせないでいる。

「霧の花」【俳句新空間No.2】 2014(平成二十六)年[新春帖]所収

2015年1月23日金曜日

登頂回望・号外編(その12) [筑紫磐井]  /   網野月を 


美しきひととよはひを重ねてゐ      筑紫磐井
新春帖(追加)として別ページに十句のみ掲載されている内の一句だ。十句には「スタア誕生」の題が付されていて、一見何れの句も漢字と仮名文字の取り合わせが有する句々である。内に一字空けの句と、句読点入りの句が一句ずつある。掲句はご伴侶と共に新年を迎えた慶事を叙しているようだ。が、「美しきひと」は伴侶とは限らない。例えば俳句の上での盟友であったり…。「美しき」が何を以ての修飾語なのかを明示していない点が巧みである。読者の想像力へその読みを委ね切っている。無防備なまでにだ。そこに新感覚のポエジーが生ずるのであろう。「かなしきほど騙されやすきくせいつも」「未知のものつねにうるわし水中か」「おしやれして出かける先はひとりもの」なども同様の手法で叙されている。

「スタア誕生」【俳句新空間No.2】(27ページ)2014(平成二十六)年[新春帖]所収

2015年1月17日土曜日

登頂回望・号外編(その11) [北川美美]  /   網野月を 


寒き日や「ヒロユキ御飯食べた?」と訊く  北川美美
次に配されている句は「食べられる蒲公英を摘む息子かな」である。ヒロユキは蒲公英を摘んで食したのであろうか?初読の際にそう錯覚した。多分、この二句に関係性はないであろう。句の構成は文語に切れ字「や」の上五、中七座五は括弧で括られた口語体の疑問文でご丁寧に?マークが付されている。終わりには終止形の動詞だ。何とも奇態な構えである。むろん二十句の中に異質な掲句が一句だけ挿入されている所が作者の工夫でもあり、二十句を面白くしている由縁である。ヒロユキの片仮名書きはヒロユキと作者が面識のないことを示していて、「ヒロユキ御飯食べた?」の会話が何処からか作者の耳へ聞こえてきたように表現されている。ヌーベルバーグ的偶然を演出して見せている。

「雪焼の男」【俳句新空間No.2】 2014(平成二十六)年[新春帖]所収

2015年1月9日金曜日

登頂回望・号外編(その10) [太田うさぎ]  /   網野月を 


兎肉つるりと祝祭の近き        太田うさぎ

 作者はマーケットを歩いているのであろう。クリスマス時期のパリの街中にクリスマス市が開かれる。毎日のように開かれる市もあれば、曜日を決めて開かれる市もある。その中で冬季の旬肉に兎がある。皮を剥かれて屋台の屋根下に何頭も吊るされて売られている。見た目には、グロテスクでもあり可哀想でもあるのだが、シチューにしたりグリルにしたりすると、これは美味である。筆者などは日本風に吸い物にした。兎肉の売られている景は、題の「パリ―十二月」にピッタリだ。くどくどしく表現しないで、「つるり」としたところに作者の工夫があるように思う。作者の俳号にも相たるので思い入れが有るかも知れないが、筆者にはそこまで思い至らない。

「パリー十二月」【俳句新空間No.2】 2014(平成二十六)年[新春帖]所収

2015年1月2日金曜日

登頂回望・号外編(その9) [堀田季何]  /   網野月を 



残雪をすすむやブーツ磨かるる      堀田季何
踏み入れた雪の中で、ブーツに着いた泥が落ちてゆく景である。それを「磨かるる」と表現した。受動態にしたことで、作者の歩く行動がかすんで、残雪が主語となってブーツを磨いている錯覚にとらわれる。中七の「や」で句切れを作って、前半と後半の主語(=主体)が入れ替わる技法である。残雪へ踏み込んでゆく作者が、世の中の汚れを落としてゆくようにも読め、奥深い句である。

「芳春」【俳句新空間No.2】 2014(平成二十六)年[新春帖]所収